【感想・考察】映画『his』LGBTs映画は次の時代へ進む

映画『his』感想です。前半ネタバレなし、後半ネタバレありです。

日本で今最も勢いのある映画監督のひとりである今泉力哉監督。ぼくも大ファンで作年公開された『愛がなんだ』は2019年ベスト10に入っています。

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で、今回観た『his』なんですけど、結論から言うとオールタイムベスト級でした

これまで各国で作られたLGBTs映画と比べても一歩先へ進んだ作品だと思います。

観終わってからしばらく経ちますが、未だにずっとこの映画のことを考えています。 今おすすめの映画はなにか聞かれたら迷わず『his』と答えますね。

ということで、『his』になぜこんなに心揺さぶられたか、なぜ次の時代へ進んだ映画なのかを書いていきたいと思います。
お時間ある方は是非お付き合いいただければ幸いです。


目次



作品紹介



映画『his』予告編|2020年1月24日公開


『his』はざっくり言うと、ゲイカップルを取り扱った作品です。

春休みに江の島を訪れた男子高校生・井川迅と、湘南で高校に通う日比野渚。二人の間に芽生えた友情は、やがて愛へと発展し、お互いの気持ちを確かめ合っていく。しかし、迅の大学卒業を控えた頃、渚は「一緒にいても将来が見えない」と突如別れを告げる。
出会いから13年後、迅は周囲にゲイだと知られることを恐れ、ひっそりと一人で田舎暮らしを送っていた。そこに、6歳の娘・空を連れた渚が突然現れる。「しばらくの間、居候させて欲しい」と言う渚に戸惑いを隠せない迅だったが、いつしか空も懐き、周囲の人々も三人を受け入れていく。そんな中、渚は妻・玲奈との間で離婚と親権の協議をしていることを迅に打ち明ける。ある日、玲奈が空を東京に連れて戻してしまう。落ち込む渚に対して、迅は「渚と空ちゃんと三人で一緒に暮らしたい」と気持ちを伝える。しかし、離婚調停が進んでいく中で、迅たちは、玲奈の弁護士や裁判官から心ない言葉を浴びせられ、自分たちを取り巻く環境に改めて向き合うことになっていく――。
(映画『his』公式サイトより引用)

監督は『愛がなんだ』や『mellow』の今泉力哉監督。脚本はアサダアツシさん。主演の二人に宮沢氷魚さんと藤原季節さん、その脇を固める俳優として松本若菜さんや松本穂香さんが起用されています。

宮沢氷魚さんはまだ出演されている作品はそう多くないものの、繊細な演技と魅力のあるこれから大注目の俳優です。

他の方々もそこにカメラがあることを感じさせないリアリティのある演技で、作品にすごく説得力が生まれていたと思います。

主題歌はsano ibukiの『マリアロード』
この曲もすごく良いので是非聴いてみてください。



感想・解説

ネタバレなし

逆張りの固定概念

ぼくたちはLGBTs映画だったり実際のニュースを見たときになぜか上から目線で問題を取り扱いますよね。LGBTsの人たちも社会に“いて良い”とか、けど子育ては無理だとか。それはLGBTs以外にも障害の話だったりとか色々あるんですけど。

要するに、今のLGBTs含む様々な問題を描いた作品って体制に対するカウンターとして存在しているのが現状なんですよね。

それは、彼らは普通とは違うっていう概念の下で起きているムーブメントであって、見方を変えればそういう潮流自体が無意識の差別でもあるわけです。

もちろんLGBTsの人や障害を持った人、歴史の中で一般的じゃないとされてきた人たちが当たり前に生きられる世の中になるためにそういった問題提起は必要です。

未だにそれが問題として取り上げられるのもまだまだそういう世の中には程遠いからでしょう。

ただ、映画『his』はLGBTsをテーマに扱いながらも、そういった世界の潮流からは少し外れた作品になっていました。というより、他よりも一歩先のフェーズへ進んでいる映画です。

というのも、この映画ではゲイの彼らが社会に存在することを当たり前に受容しているんですね。

もちろん彼らが社会における自分たちの立ち位置に悩む描写はあります。しかし、映画として社会に立ち向かうようなことは一切していないんですね。むしろ、彼らを当たり前に扱おうという姿勢が過剰すぎて逆に特別視していた私たちに強烈な一撃を喰らわせて来ます。 固定概念を壊すための逆張りの固定概念に囚われていたのが今の私たちなんですね。



存在しない悪役

それを示す特徴として、『his』では悪役がいません。これは今泉力哉監督のフィルモグラフィーの特徴でもあるんですけど、今作では特にそれが効果的に作用しています。

例えば、今作ではの二人にフォーカスが当てられているわけですから、当然観客はゲイである二人に感情移入して映画を観ることになります。

社会から受け入れられない存在ということに耐えられなかったは、ゲイであることを隠して玲奈と結婚して子どもを授かります。しかし、自分の気持ちに嘘をつけなかった玲奈との離婚を決意し、娘のちゃんとともにかつての恋人であるのもとへ転がり込んできます。

これだけ見れば、は社会の被害者であり可哀想であると思うでしょう。実際そのように思ってしまう構成で映画は進むので、完全にぼくたちは側の人として映画を観てしまうわけです。

ですが、ゲイであることを隠されていた玲奈は被害者ではないのでしょうか?ゲイであることを抜きにして、奥さんに気持ちがないけど周りから認められるために結婚したという事実を見たらどうでしょう。 旦那側を擁護できますか?

今作ではこういった気づきが何度も訪れます。ぼくたちはゲイというフィルターを通してを見て、守ろうとしているあまり、一般の人とは違う存在で扱っていたということが次第に浮き彫りになっていくのです。

今までのLGTBs(マイノリティ)vs社会(マジョリティ)の対立構造で描いていた作品群とは明らかに違うといったのはそういうところです。

既に全ての人を社会に組み込んだ上での問いや葛藤を描くのでより人間らしさというところに深く切り込んでいる作品なのです。



ネタバレあり

渚と玲奈

ここからはネタバレありになります。 まだ観ていないからネタバレは嫌だ!という方はここで読むのを一旦辞めて貰えればと思います。

それから鑑賞後にまた戻ってきていただければ幸いです。この後も読んでいただける方はよろしくお願いいたします。



この映画で無視できないのは、玲奈の三人の描かれ方でしょう。 三人をどう描いているのか、ここに注目することでぼくたちがいかに固定概念に囚われていたかが浮き彫りになります。

玲奈と結婚したは、自分がゲイであることを隠して生きていくことが苦痛になり、別の男の人と肉体関係を持つようになります。要するに浮気ですね。

先でも述べましたが、冷静に考えれば悪いのは嘘をついて浮気していたと思うはずですが、娘と仲良く暮らしている姿や村の人たちとすぐに打ち解ける様子を見ており、またLGBTsに対する偏見や社会での生きづらさを知っているぼくたちは、彼を完全な被害者として捉えてしまいます。

さらに、娘のを連れ帰った玲奈が仕事と育児の両立に悩み手を出してしまう シーンで渚=正義、玲奈=悪の認識は決定的になります。

裁判は玲奈のそういった行為が決め手となり、の勝ちで終わりそうになりますが、彼は和解を申し出ます。

ここでぼくたちはどぎついカウンターを食らうことになります。

玲奈に今までの自分勝手さを謝罪し、親権を譲ると言います。

が今まで自分が行ってきた身勝手な振る舞いを謝罪したことで、ぼくたちがいかに固定概念的に正義と悪の断定をしていたかを気づかされるんですね。

ゲイという社会的に虐げられる立場であったとしてもの身勝手な行動は許されるものではありません。玲奈にしても、娘に手を出したことは絶対に許されませんが、仕事と育児の両立、いきなり訪れたシングルマザーとしての現実のつらさを考慮してあげるべきです。

ぼくたちはマイノリティ、マジョリティという対立構造に囚われるあまり、本来根底にあるべき“人として”ということを忘れているのです。

裁判の後、に言う「自分たちが一番弱いんだと思っていた」というセリフで、本来の“当たり前”とはいったい何なのかを考えさせられました。

マイノリティの人たちを尊重するということは大事ですが、それは決して特別扱いするということではありません。

マジョリティの人たちを引きずり降ろして立場を逆転させることが尊重ではないのです。

本当の“当たり前”とはマイノリティ、マジョリティという概念を失くし、それぞれがただそこに存在することを受容することなんですね。

肯定でも否定でもない、“受容”なんです。



迅『審判』

と別れた後、人を避け田舎の町で自給自足の生活をしています。

男として社会の中で生きることを選んだに対し、は社会から離れて生きることを選びます。

一見真逆の選択に見えますが、そこに 共通するのは 恐れです。

が恐れたのはアイデンティティの死が恐れたのは社会からの死。 そしてその後にはアイデンティティの死を恐れ、浮気に走るわけです。

そのままの自分で社会の中にいることに恐れを抱き、別々の選択で現実から逃げる二人。

以前よりもLGTBsの人々が受け入れられてきたといってもまだまだ社会で堂々と生きていくのは難しいのが現実なんですねが大学卒業後、就職した先で行われる軽率なゲイいじりなどが示すように、未だに偏見と差別はなくなっていないわけです。

は自身の喪失を恐れるあまり、ゲイということにさえフタをしてしまいます。 必死にゲイであることをバレないように、極力人と会うことを避けて生きていきます。

何度か登場する、が読んでいる本。あれはフランツ・カフカの 『審判』という本です。

超ざっくり紹介すると、Kという男が理由もわからず逮捕され、裁判にかけられそして理由がわからないまま死刑になるという話です。

映画において『審判』が指し示すものは“不条理”さです。

人を好きになっただけなのに社会から迫害され、ただ他の人たちと変わらない恋愛をしているだけなのに過剰に反応される。

望んでいないところで他人が人生に干渉してくる社会の不条理さを彼は感じているのです。

そんな彼の前にが現れます。

反強制的に町の人たちと関わらなければいけなくなったは、改めて社会と向き合うことになります。

その中では人の本当の優しさに触れることで、自分の中にもあった固定概念が壊れていくことを実感し、自分の気持ちに正直に生きることを決意していくのです。

そしてその大きな要因となったのはであり、町の人たちであり、そしてなによりでしょう



家族の物語

『his』が他のLGBTs映画よりも一歩先の時代に進んでいる理由、もう一つは”家族”について描いているところです。

これまでの多くのLGBTs映画の主題は“恋愛”です。男性同士、女性同士などの恋愛を肯定することがテーマでした。

『his』ももちろんそういったテーマを持っていますが、さらに一歩踏み込んでいます。

それは男性同士のカップルに育てられた子供は幸せなのか?という問いです。

この映画ではしばしば「一般性」「特殊性」について問われます。

の親権をめぐるの裁判のシーンで、こんなことが語られます。「父親と母親に育てられることが普通であって、それが子供にとって幸せである」

ぼくたちはこのシーンを受けて、同性同士でも子育てはできる!とか、もしくはそれは子供が社会から向けられる目を考えると一理あるのではないかとか考えるのではないかと思います。

ここでよく考えてほしいのですが、この時点でぼくたちはとある「一般性」に囚われていることに気が付きませんか?

がキスしていることを目撃してしまったは、翌日そのことをみんなのいる前で話してしまいますが彼女はそれを特殊なこととは一切思っていません。

も家族であると思っています。そして玲奈も。

は劇中唯一「一般性」にも「特殊性」にも囚われていない人物です。

ただ純粋に、玲奈の四人で一緒に幸せに暮らせると信じています。

こういったの無垢な姿にぼくたちはハッとさせられます。子どもの純粋無垢さというのは時に人を傷つけますが、また時に人を救うのです。

裁判のシーンを受けぼくたちの脳内にある選択肢は「を育てる」、「玲奈を育てる」の二択のみです。

四人で協力してを育てるという選択肢を考えつく人はそう多くないでしょう。それはLGBTs問題はマイノリティVSマジョリティであるという「一般性」が浸透しているからです。

人権の尊重を意識するあまり、もっと根底に存在する当たり前を見逃しているのです。 これまで仕事一筋で子育てを渚に任せっきりにしていた玲奈はこれから頑張ればいいし、自分勝手に生きてきたも家族のために働くことをこれから理解していけばいい。

この映画で常に語られるのは誰かが悪くて誰かが正しいのではなく、全員正しいということでです。

それに気づいた結果がの選択であり、「自分が一番弱いんだと思っていた」というセリフです。

家族の幸せというのは社会が決めるものではありません。子供の幸せは他人の価値観で決まるものではありません。

固定概念を本当の意味で打ち壊した先があのラストなのです。

玲奈の自転車の練習に付き合う。そしてが転ぶと三人が駆け寄っていく。 ぼくはあのシーンで号泣しました。 数ある映画の中でも屈指の優しいシーンだったと思います。



本当の優しさとは

『his』は優しさに溢れた映画です。

そしてこの映画が持つ優しさというのが真の意味での優しさなのだと思います。

Twitterなどを眺めていると、優しさという名目で他人の行いに口出しをしている人が多く見受けられます。

当事者にしかわからない心情を勝手に決めつけたり、正しさを断定して言動を否定したり。

客観的にみると頭のおかしい人だなと思う場合もたくさんありますが、本人はおそらくそれが優しさだと本気で思っているし、自分たちだってどこかでそういう行いをしているはずです。

そんなんじゃ上手くいかないとか、もっとこうしたほうがいいとか、そんなの変だとか間違っているだとか可哀想だとか不謹慎だとか。

きっとみんな相手のことを想っての言動です。 でもそれは優しさではないのです。

本当の優しさとは他者の生き方に口を出すことではありません。

わたしはあなたの生き方を肯定するよ!と声を大にして発することも時にはそれが当人を生きづらくさせている場合があるのです。

これまでのマイノリティの人権を求める運動は駄目ということでは決してありません。

多くの人が問題の存在を認識し、変わろうと動き出している今こそ次のフェーズへ移行していく必要があるのです。

そしてそれは今泉力哉監督がずっと昔から伝えてきたメッセージです。

これまで様々なカタチの恋愛を優しく見守ってきてくれた監督が『his』という作品を通してより広く多くの人を包み込んでくれたという印象です。





最後に

以上、映画『his』の感想・考察でした。

LGBTsのみならず、マイノリティの問題を描く作品として一歩先を行く映画であることは間違いないでしょう。

個人的にオールタイムベスト級の映画で興奮状態なので上手くまとめられた自信がないのですが、本当に良い映画なので多くの人に観てもらいたいです。

横道にそれる話ですが、「ありがとう、でもごめん」のセリフで同時期に公開していた同監督作品『mellow』と繋がるあたりもたまらなく好きでしたね。

ぼくは今作は世界に出しても通用する映画だと思っていますし、なんならアカデミー賞でも戦える映画だと思います。

では。