【感想・考察】映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PRAY』女性讃歌の先にある人間讃歌

最高of最高。これぞ僕たちが観たかった『スーサイド・スクワッド』だ...
DCに新たな傑作が誕生しました。


『ジョーカー』の次はジョーカーの元カノの映画だ。 不謹慎厨と男尊女卑野郎大発狂の人間賛歌!!


ということで今回は2020年3月20日公開『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』の感想です。前半ネタバレなし、後半ネタバレありで話していきたいと思います。
お付き合いいただける方はよろしくお願いいたします。


目次



あらすじ

悪のカリスマ=ジョーカーと別れ、すべての束縛から放たれたハーレイ・クイン。モラルのない天真爛漫な暴れぶりが街中の悪党たちの恨みを買うなか、謎のダイヤを盗んだ少女を守るため、悪を牛耳る残忍でサイコな敵ブラックマスクとの全面対決へ! 悪VS悪のカオスな戦いを前に、ハーレイはとってきおきの切り札、クセ者だらけの最凶チームを新結成。ヴィランたちの世界で、予測不能のクレイジー・バトルが始まる!
『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』公式サイトより引用


ゴッサムに巣食う犯罪の道化王子ジョーカーと別れたハーレイ・クインがふたりの思い出の場所であるエース・ケミカル工場をド派手に爆破するところから幕を開ける本作。別れてもジョーカーから離れられない彼女が自分の魂を開放するまでの物語です。


映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』US版本予告 2020年3月20日(金)公開


キャスト・スタッフ

主人公ハーレイ・クインには映画『スーサイド・スクワッド』で同役を演じたマーゴット・ロビー。本作では制作も務めました。BIRDS OF PRAYのメンバーとして活躍する四人には、ハントレス役にメアリー・エリザベス・ウィンステッド、ブラックキャナリー役にジャーニー・スモレット=ベル、レニー・モントーヤ—役にロージー・ペレス、カサンドラ・ケイン役にエラ・ジェイ・バスコがそれぞれ起用されています。


今作の悪役である、顔剥ぎ変態変態野郎ローマン・シニオス/ブラックマスク役にはユアン・マクレガーが、シニオスの右腕で残忍な殺人鬼ビクター・ザーズはクリス・メッシーナが演じています。


監督はキャシー・ヤン。ジャーナリストなどを経て監督となった彼女は監督二作目にして大抜擢。アジア人女性初のスーパーヒーロー映画監督となります。脚本には『バンブルビー』のクリスティーナ・ホドソン。アクション担当にはいま最も注目されるスタントチーム、87イレブン・アクション・デザインのメンバーであるジョナサン・エウゼビオジョン・バレラ。最近では『ジョン・ウィック:パラベラム』でアクションを担当した人たちです。

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さらには同じく『ジョン・ウィック』シリーズで監督を務め、87イレブンーの創始者のひとりであるチャド・スタエルスキを第二班監督に迎えた鉄壁の布陣となっています。そんな今作のアクションシーン、やばくないわけがない。


その他詳しくは映画公式サイトをご覧ください。

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それからパンフレットにはキャスティングや美術・衣装、音楽についてなどの制作秘話が詳しく記載されているので鑑賞後には是非買ってみてはいかがでしょうか。ボリュームたっぷりで読みごたえがあるので買って損はないと思いますよ。



ネタバレなし感想

冷蔵庫の女たちの反撃開始

今作はハーレイ・クインがひとりの人間として自己を覚醒させる物語であると同時に、男性の活躍の裏で冷蔵庫の女として犠牲になってきた女性たちが反旗を翻す映画でもあります。


「冷蔵庫の女」というのはアメコミ界隈で広まった(たしか、うろ覚え)言葉で、男性が成長する舞台装置として傷つく、またはレイプや虐待、殺害されることでしばしば問題にされてきました。


問題とされてきた理由は言わずもがな女性の客体化です。「女には男が必要だ。男がいなければ何もできない存在なんだ」という価値観が問題視されてきたわけです。男性のキャラのかっこよさを引き立てるために悪者に連れ去られるヒロインや怪我を負いピンチに陥る女性たち。そういった展開が必ずしも悪いものかと言われればそうではありませんが、そういった男女の上下関係がデフォルトになるのは問題がありますよね。


『ハーレイ・クインの覚醒』ではそういった冷蔵庫の女になるはずだった女性たちが立ち上がり自らの力で敵をぶちのめしていくのです。それを軽妙にモラルお構いなしで体現していくからこそのカタルシスがこの上なく気持ちいいんですね〜。


女は男がいなければ輝けない?そんなのクソくらえ!です。



最高のアクション

この映画の見どころはなんと言ってもアクションです。


今作はアクションにすごく力が入っていて、女性がいかに自分よりも屈強な男を倒すかというリアリティ、派手に華麗に魅せるパフォーマンス、ハーレイの映画らしいユーモア。この3つのバランスが本当にうまくて、最ッッ高のアクションに仕上がっていました。


ハーレイ・クインが新体操選手だった設定とマーゴット・ロビー本人の身体能力を活かしたしなやかな戦闘スタイルが...とか色彩がとかそういう解説はパンフレットに詳しく書いてあるのでもうそっち読んで!!


ギンティ小林さんのアクション解説画最高なのでパンフレット買って読んで!!


ということでぼくはただただ好きなアクションシーンについて喋りたいと思います。


まずは警察署のシーンですよね。スプンリンクラーが作動したことでハーレイと警察署がベシャベシャになるんですけど、それが最高なんですよ。


ハーレイが足を蹴り上げると床に溜まった水が跳ね上がってしかもスローモーションになるからめちゃめちゃかっこいいんですよ!あそこマジ最高。


それからクライマックスの遊園地でのアクション。あそこもすごい。


トランポリンやらすべり台やらを活かした動きのアクションが見たことあるようでなかった映像だったし、それこそギミックを活かしで力の男女差をなくす戦い方が見ていて本当に面白い。


プラスそこに子どもを守りながら戦うっていう制限があるから自ずとチームプレーをしなきゃいけなくてバラバラだった5人がまとまっていくという過程も最高ですよね。


遊園地だから見た目的にも派手で楽しいですしね。


ハーレイが戦闘中に、長い髪を邪魔そうにしているキャナリーに髪留めを渡すんですけど、あのさりげないシーン最高。確かに邪魔ですよね。今まで全然そんなこと気にしたことがなかったからけっこうハッとさせられたシーンでした。


それから、めちゃめちゃカッコいいアクションなのに、ハーレイがあんなんだから全然締まらないんですよ笑決めカットバーン!のタイミングでふざけだすからなんかもう...笑


突然すぎるキラーボイスもまあハーレイ映画なら許せるか笑





ネタバレ有り感想

反恋愛映画として

ここからはネタバレ有りでいきます。ネタバレが嫌な方は一旦ブラウザバックしていただいて、鑑賞後にもう一度読みにきてくれると幸いです。


ここからも付き合ってくれる方は是非よろしくお願いいたします。




予告、あらすじ等でわかる通り、この映画はハーレイがジョーカーと別れたところから物語が始まります。


そこで、ハーレイは自分がいかにジョーカーという名前ありきの存在だったのかを痛感するのです。


今まで自分が好き勝手やってこれたのはジョーカの彼女という肩書きがあったからこそ。それがなくなった途端に大勢から命を狙われてしまう。


で、そこからジョーカーを捨て、『Daddy’s lil Monster』からハーリーン・クインゼルに成るに至るまでの物語を描いているわけですけど、このジョーカーへの想いを捨て去るまでの描き方がすごく面白い。


まず、冒頭でジョーカーなんてもう知らん!と言いながら周りには別れたことを隠してジョーカーの権力を使いまくる様子で「あぁ、まだ全然引きずってるんだな」というのが分かります。


しかも、ハーレイには失恋を埋められる友人や仲間がいないんですよね。それ故にいつまでもジョーカーにすがって荒れて荒れて...


その後もジョーカーの絵を壁に貼って、ナイフで刺したりするんですけど決して剥がしはしないし、失恋を埋めるために飼ったペットもハイエナっていう笑(ハイエナは笑う動物。残忍、笑う=ジョーカー)


前に進むといいながら何回も過去にさかのぼって展開する物語の構成もハーレイの適当さを表現した演出であるとともに、元カレへの想いを忘れられずに何度も振り返ってしまう女性の暗喩になっていて「いや、全然吹っ切れてないじゃん!」って思わずツッコんでしまいます。


そこから「ガールズ・ギャング(女友達)」と出会うことで過去へ遡るという演出がなくなって映画全体がまっすぐ前を向き始めます。


こういった全ての演出がハーレイの映画であることを意識して作られているので本当にすごいなぁと感心しました。


まぁ確かにテンポの悪さとかはあるんですけど、それ全てがハーレイのためで、奇をてらっただけの演出のように見えて全然違うんですね〜。




ハーレイの見た目

あとはハーレイの見た目に触れておきたいんですけど。


衣装、髪型、メイクが『スーサイド・スクワッド』の時からはだいぶ変わっていますよね。


髪をバッサリ切って、服装もキラキラして派手な衣装に。 ジョーカーに好かれるための格好から自分が好きな格好へ。失恋で髪を切るのは古いなと思うかもしれませんが、あれだってジョーカーの好みから自分を断ち切るという意味で必要な行為なのでしょう。


メイクは基本的にはジョーカーといたときと変わらないんですけど、男の評判を気にしないメイクの仕方に変わっている気がします。これに関してはちょっと自信ないですけど。


でね、僕、鑑賞後にあることに気づいてすごく反省しまして。


鑑賞中ハーレイの見た目に関して、「服装も髪もメイクも前の方がかわいいのにーもったいない」って思っていました。


ねー。


もったいないってなんだろうねー。


『スキャンダル』の感想であんなこと言ってたくせにこれですよ。まさに女性を客体化した見方をしていて猛省しました。

lociepatay.hatenablog.jp


それから、ハーレイ・クインは今の彼女になる前は大学に行って博士号も持っていて、その秀才ぶりをところどころ出してきて、ギャップで笑っちゃうという場面が何度かあるのですが、これも見た目による先入観だなーと思って。


客体化とはまた少し違うとは思うし、これは監督も狙った演出だとは思うんですけど、そこで笑ってしまうっていうのはハーレイみたいな見た目の人はバカだという先入観によるものですよね。


見た目での決めつけってなんとなくやりがちなので反省しました。


直球アクションコメディの裏で、細かなディテールから考えさせられることがたくさんあるんですねー。

女性讃歌の先にある人間讃歌

『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』はあからさますぎるほどに男性vs女性の構造をとってるわけですけど、別に女性最高!男性最低!な映画ではないと思うんですよ。


ブラックマスク始めこの映画に出てくる男たちは軒並みクソです。でもハーレイたちBirds of Prayのメンバーたちも善人ではありません。


各々が自分の正しいと思った行動をした結果がああなっただけなのです。


まずそのことからも女性が正義だと言っている映画ではないということがわかると思います。


次にハーレイを始めとする女性キャラたちの共通点。


ジョーカーの彼女としてのハーレイ、手柄を上司に横取りされるレニー・モントーヤ、シニオスに家族を殺されるもその手下に助けられ育てられたハントレス。シニオスのナイトクラブで歌手として働くブラック・キャナリーに里親にネグレクトを受けるカサンドラ・ケイン


彼女たちの共通点は“女性”であるということだけではありません。全員、主体的な人生を奪われたという人たちというのが真の共通点なのです。


そしてそれは女性に限った問題ではありませんよね。家族や友人、社会の評価や価値観に左右されて自己を殺している人はたくさんいると思います。


この映画ではそんな人たちに向かってはっきりと言い放つんですね。


自分の人生を他人に委ねるな。自分の幸せは自分で手に入れろ。


男性も女性も関係ない。人間なんです。人は自分次第でなんにだってなれるのです。


ではなぜここまではっきりした男性vs女性の構図をとるのかといわれれば、そうしないと次のフェーズへは進めないからです。


主体的な人生を奪われた人は男性、女性問わずにいるとは言いましたが、今の世の中で考えればそういった人たちは女性の方が多いでしょう。


男性の権利の方が強い社会であった以上それは自明です。


そういった社会のなかで、女性が男性に助けられるシーンを入れればどうでしょう。結局は男性のおかげという“家長父制”からの完全な脱却は難しいのではないでしょうか。


洗脳にも近い形で脳裏に埋め込まれた価値観というのは、一度完全にぶっ壊さなければ変わらない。


旧来の女性が主人公であるヒーロー映画では、手助けをしてくれる男性がいる映画だけでは、結局女性は「小鳥」であり男の力が必要であるという価値観からは脱却しきれないのです。


『ワンダーウーマン』や『キャプテン・マーベル』が駄目というのではありません。これらの映画が世間から認められた今、女性のエンパワーメントが形になりつつある今だからこそ、徹底した男性vs女性を描くことで先にある男性も女性も関係ないというフェーズに移行できるのではないでしょうか。


女性だけでもこんなにおもしろいアクション映画が撮れるんだぞっていうことを示すことができた。それが今作の最大の功労であり、次の時代へ繋げたバトンなんです。

おわりに

『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PRAY』は見た目の裏にすごく緻密で秀逸な構成が隠された映画だと思います。


ガールズギャング(女友達)の最高さが前面に押し出された作品ではありますが、実は男が男に抱く感情にもすごく寄り添っていたと思っています。シニオスとザーズの関係は恋愛関係のようにも見えますが、僕はそういう関係性ではないと思います。特にザーズのシニオスに対する感情は恋愛として相手を想う感情とは違うのではないでしょうか。


あれはどっちかというと、彼女ができて遊ぶ機会が少なくなった親友や仲間に対する、「あいつは女をとって俺らを捨てたんだ」みたいな感情のように思います。中学生とか高校生のときによくあるようなやつです。


そういうところにも満遍なく気を配ってるからこの映画はすごいんですよ。


もちろん何も考えずにすっきりしたいときに観たい映画としても最高の作品です。


でもそれだけで終わらせてほしくないなというのがぼくの感想です。


コロナウイルスの影響で外出が憚れる状況ではありますけど、是非観てほしい!家で観れるようになるのを待つのもいいけど、パンフレットだけは買っておいてほしい!


最高of最高な映画ですよ!!