こんにちは。
本ブログでは映画の感想を書いたり、あなたをクソ映画の沼に引きずり込もうとしたりしています。
これまで35記事くらい書きましたが、未だに文体とフォーマットがしっくりこなく悩んでいます。
今回は映画『STAND BY ME ドラえもん 2』の感想です。
前半ネタバレなし、後半ありとなっています。
ネタバレ感想に行く前にもう一度忠告しますので見逃さないでね。
ということでよろしくお願いいたします。
『STAND BY ME ドラえもん 2』
監督:八木竜一
脚本・共同監督:山崎貴
音楽:佐藤直紀
主題歌:菅田将暉「虹」(Sony Music Labels Inc.)
声優:水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、木村昴、関智一、宮本信子、妻夫木聡
配給:東宝
あらすじ
ある日のび太は、古いくまのぬいぐるみを見つける。それは、優しかったおばあちゃんとの思い出の品だった。
「おばあちゃんに会いたい!」ドラえもんの反対を押し切り、タイムマシンで過去へ向かうのび太。おばあちゃんは突然やってきた少年を、のび太と信じ、受け入れてくれる。
そして、「あんたのお嫁さんをひと目見たくなっちゃった」おばあちゃんのこの一言から、ドラえもんとのび太の大冒険が始まる。
おばあちゃんに未来の結婚式を見せようとするのび太たちだったが、しずかとの結婚式当日、新郎ののび太が逃げた!?
のび太を探すジャイアンとスネ夫。信じ待ち続けるしずか。おばあちゃんの願いを叶えるために、家族、友だち、そして、大好きなしずかちゃんの想いに応えるために、時をかけるのび太とドラえもん。過去、現在、未来を繋ぐ、涙と絆の物語。
映画公式サイトより
前作の『STAND BY ME ドラえもん』は品も矜持もなくて個人的にはかなり嫌いです。
別にお涙頂戴自体が心底嫌いってわけではないんですけど、これはあまりにも品がないというか節操がないというか......
みんなが泣けると言ってるエピソードをただ詰め合わせただけで一本の物語としても成立していないしすごい馬鹿にされている感じがしてとにかく嫌いでした。
で「2」ですけど、予告の時点では「ドラ泣きMAX IMAX」とかめちゃめちゃ気持ち悪いし、結婚式とかおばあちゃんのエピソードとかうわーまたかーて感じでやっぱり嫌いだったんですけど、とはいえ観ないでこき下ろすのもおかしな話なので一応見てみようと。
続編では良くなっているパターンもたくさんあるし、わりとそれを期待して見に行きました。
それで、結論からいうと、前作よりもはるかに良くなっていました。
別々のいくつかのエピソードを集めているのは変わりないのですが、今作はちゃんとそれを一本の物語としてまとめていたのでそこは良かったです。
全然見れる作品にはなっていた。
ただまあ、前作よりも良いってだけでうーん。やっぱり駄目だったかなー。
というのも、シンプルに話として破綻していない?ってところと、えっそういう畳み方するの......ていうところで全然乗れなかったし、泣けるとか泣けないの問題じゃない気がしますね。
そもそもドラえもんって泣けるコンテンツとして消費するものなのかという疑念は一回置いておくとしても、終始のび太にイライラさせられるし、しずかちゃんの扱いがすごく雑だし、道具の使い方もうわっまじか!ってことするんですよね。
冒険の道中様々な障害にぶつかるわけですけど、それの解決方法もいまいち納得できないというか、あれをあれすれば一瞬で解決するんじゃね?っていう。
これ以上はネタバレになっちゃうのでネタバレしながら話します。
ということでこの先はネタバレありですのでご注意を。
ネタバレが嫌だという方はここでブラウザバックしてください。
注意を読まずにネタバレふざんけんな!とか言われても知りませんので。
この先も読んでくれる方はよろしくお願いします。あなたの感想も聞かせていただければと思います。
いきなりですけど、大人のび太、子ども過ぎません?ちょっと引くレベルです。
まあイライラさせられる主人公自体はいいと思うんですよ。それも一個のキャラクター設定ですし。
ただ今作は大人のび太を立派な人間として描いてるでしょ?そうなると話は別なのよ。
まず彼は小学生の時からなにも変わってないでしょ。スネ夫にジャイアン、出木杉は大人になるにあたって心身ともに成長しているのにのび太だけ身体ばっかり大きくなって心が全く成長していないってそりゃあんまりな描き方じゃないですか。
しまいにはしずかちゃんに「そのままでいいのよ」とか言わせてさ。
あれは「強くなくていい、優しいのび太さんが好きだから」って意味で言わせたんでしょうけど、あの流れだとそんな意味にはなりませんからね。
自分が蒔いた種で散々まわりの人に迷惑かけておいてそのままでいいはないでしょうよ。
しずかちゃんはお前の自尊心を守るための道具じゃないんだぞって感じですね。
自分のケアくらい自分でしろよ。ドラえもんがいなくなったら今度はしずかちゃんって......
女性は男性をケアするための存在じゃないからな。
いまこの時代にしずかちゃんとの結婚を描くなら、それなりの配慮があって然るべきで、幸せ=結婚の考え方は駄目だと思うんですよ。
それこそ聖母しずかちゃん像からは抜け出すべきだし、結婚が全てじゃない世の中でそれでも結婚を選ぶ理由をちゃんと描けていたらそれはもう大傑作だったと思います。
でもそれは出来ていないですよね。
今作ではしずかちゃんはのび太を肯定する以上の存在意義はないですし、言ってしまえばおばあちゃんもそうなんですよね。
二人をのび太に厳しい人間にしろというわけではなくて、優しい中にも示せるものはたくさんあるじゃないですか。
そもそものび太のやばいところって、しずかちゃんを自分が幸せになるための“もの”として扱っているところなんですよ。
ジャイ子と結婚すると自分と子孫たちが不幸になるからしずかちゃんと結婚するためにあの手この手で未来を変えようとするわけじゃないですか。
それってある意味、他人の人生の選択を奪っているということですからね。
ただそこに何かしらのフォローがあるから僕たちは観ていられるわけでそれがドラえもんです。
なのに今作は、“もの”扱いを拗らせるばかりでそのまま着地してしまってるんですよね。
出だしがおばあちゃんに自分の結婚式を見せてあげたいっていうところから始まっているわけですけど、これだって僕の利己的な幸せのために動いているわけでそこにしずかちゃんの意思や選択は介在していないじゃないですか。
それはやっぱりのび太が考えなければいけない問題であって、実際劇中では大人のび太が自分と結婚することはしずかちゃんにとって幸せなのかと悩んで逃げ出すわけですけど。
結婚式当日に悩むことじゃねえだろとは思いますけどそこは置いておいて、大人のび太がそこに向き合うってのは良いですよ。
で、次にやるべきなのは子どものび太に教え諭すことです。
自分の利己的な目的のためにしずかちゃんを振り回しているということに子どものび太が気づいて考えなきゃいけないと思うんですよ。
それで出た答えがあるからこそ、結婚するという選択に意味がでてくるわけじゃないですか。
でも大人のび太が子ども過ぎるせいで、子どものび太は肝心なときにケアにまわるばかりですし、しまいには大人のび太が出した答えですよ。
「僕の幸せがしずかさんの幸せなんだ」
おいおいおい!それは一番出しちゃいけない答えだろうがよ!
超絶自分本意な答えを出してそれをしずかちゃんが受け入れるENDってそりゃないよー。
「自分の幸せは相手の幸せ」ってその考え方こそが色んな問題を生むわけじゃないですか。
こと恋愛においては特にそうでしょ。
ジャイアンの「お前のものは俺のもの」に文句を言うわりにはのび太も同じようなことやってるんですよね。
しかもジャイアンはそこから大人になったのに、のび太はそのままでいいよって本気でやばいですよ。
だから大人のび太が戻ってきて感動的なスピーチをしようが、おばあちゃんの涙をみようがなんにも感動できないんですよ。
あのスピーチにしたってまず謝るべきじゃないですか。あの場にいる人たちは基本的にドラえもんを知っている人たちなんだから、僕は逃げ出して、代わりにタイムマシンでやってきた子どもの僕が結婚式にでていたと。その上であのスピーチをするから感動できるし、それが逃げ出して迷惑をかけたことに対するけじめの付け方でしょ?
しずかちゃんに「あれのび太さんじゃないでしょ」って言われてへらへらしてる時点で彼はなんにも変わっていない。
そのままでいい=変わらなくていいってことではないですからね。
大人のび太にそれができないなら、その代わりを担うのがしずかちゃん然りおばあちゃんなわけですけど、さっきも言ったとおりそれもない。
おばあちゃんの「結果よりも行動してくれたその意思が嬉しい」っていうのもすごく良いセリフなんですけど、それもそのセリフ言わせるならおばあちゃんに結婚式をみせないでくれって思ってしまいますね。
それがどんなに幸せになれることだとしても、望んでも出来ないことってあるわけそこに向き合っていくのが人生じゃないですか。そういうことを道具を使って全て叶えてからおばあちゃんのセリフを気化されてもイマイチ響かないんですよね。
のび太ができることとできないこと、やっていいこととやってはいけないことに壁にぶつかるからこそ活きてくるセリフだと思うんですけどねー。
だから、なんだかなーって感じですよ。
話の展開にも無理があって、劇中、様々な困難ぶつかるわけじゃないですか。タイムマシンがなくなるとか入れかえロープに不具合があったとかヤンチャ中学生に絡まれるとか。
でメインの障害が入れかえロープ問題ですけど、これ一瞬で解決できません?
中目黒さんがのび太の部屋に来てロープ不具合があったと伝えてうわー大変だ大変だーって大人のび太探し回ることになりますけど、あれタイムマシンでロープを使う場面まで戻れば良くないですか?
なんでそのときだけ人力で探し回るの?
あと、どこでもドアで大人のび太くんのところへって言って失敗するくだりありましたけど、入れ代わっているから身体が大人で心が子どもののび太の居場所に繫がってしまってうまくいかないってことですよね。
じゃあ「子どものび太くんところへ」って言えばいいだけじゃないですか?あんなにどうしようどうしよう慌てた末に「そうだ、正確に言ったらどうなるんだ?」ってなることですか?
焦ってたにしろまずは「子どもののび太くんのところへ」って言うでしょ。
タイムマシンに件に関しては、タイムパラドックスのこととか、簡単に過去や未来をかえてはいけないってことなのかなとも思いましたよ。同じ人物が顔を合わせてはいけないとかさ。
でもそれまでに散々やってるじゃないですか。
そこだけ駄目ですとか言われても理屈が通らないんでやっぱりおかしいんですよ。
じゃあなんであんなことしたかって、あの中学生にボコボコにされるくだりがないとその後の展開ができないからです。
その時点でこの物語は作り物であの人物たちは生きていないよね。
でしまいにはやっぱりタイムパラドックスとかの問題があるから忘れん棒全部なかったことにして一件落着でしょ。
これ泣けるとか泣けない以前の問題ですよ。
今までの時間なんだったのってなっちゃいますよ。
あと、入れかえロープさ、根性論でどうにかなるのおかしくないですか!
今まで一言も喋ってないのに急に意思疎通しだすのも変だし、なにそういうもんなの?って思って一気に冷めましたよ。
じゃあどこでもドアのくだりのときも「おい!こっちののび太くんじゃないことくらい状況考えたらわかるだろ!こんなときにふざけてんじゃねーよ!」とか言えばいいってこと?
あれはさすがにご都合過ぎてひどいです。
今作の大きな特徴でもある3Dの見た目については、そういう作品として作っているんだし、僕は別に嫌悪感はないです。
それが嫌ならそれこそ見なきゃいいだろって話になってきますし。
ただ、前述した通り物語が破綻していることもあって、全然キャラが生きているように見えないんですよね。
特におばあちゃんがすごく嘘っぽくて、なんか悪い科学者に決められた動きと喋りをするように改造された人間みたいにしか見えなくてすっげー怖かった。
中でも家に歩いていくところがすごくプログラムっぽくて違和感がすごかったです。
バイクアクションのスピード感は3Dならではの迫力で良かったですけどね。
以上、かなり酷評気味ですけど感想でした。
主題歌はめちゃめちゃ良い曲なんですけぢ ど、あれも映画にイライラした状態で聞くとなに調子のいいこと言ってんだよと思ってしまう......
山崎貴監督ねー、なんか言われたから作ってる感すごいんですよねー。とりあえず売れるようには作るけど......みたいな。
『アルキメデスの大戦』みたいな自分がやりたくてやってる映画は素晴らしい出来なのにね。
まあ僕が駄目だったってだけで他の人はどう感じるかはわかんないですけどね。
だから観ないで酷評するのはやめましょうね。
ではまた。