【感想】映画『すばらしき世界』に感動するな。考えさせられたとか言うな。

こんにちは、こんばんは。
今回は映画『すばらしき世界』の感想です。


タイトルだけ読むと批判的な感想なのかなと思うかもしれないですが、まあ最後まで読んでいただければわかります。


前半ネタバレなし、後半ネタバレありです。
ネタバレに行く前にもう一度忠告するので見逃さないでね。




『すばらしき世界』


映画『すばらしき世界』本予告 2021年2月11日(木・祝)公開

監督:西川美和
脚本:西川美和
原案:佐木隆三「身分帳」(講談社文庫刊)
撮影:笠松則通
音楽:林正樹
出演:役所広司、仲野太賀、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、長澤まさみ、安田鳴海
配給:ワーナー・ブラザーズ映画
上映時間:126分

wwws.warnerbros.co.jp





###ネタバレなし映画紹介。
つかぬことをお伺いしますが、犯罪者が社会に復帰することについてどう思いますか?犯罪者が出所して幸せに暮らすことにどう思いますか?
もうちょっと具体的にイメージしてみましょうか。
あなたの職場にいる人が実は過去に殺人を起こしていたと知ったらどうしますか。隣の部屋の住人が元殺人犯だったらどうしますか。
僕は「人を殺しておいてなに幸せになろうとしてんだよ」とか「怖いから近くにいないでほしい」ってたぶん思います。色々わかっているつもりでも心の底ではそういう意識がおそらくあります。
でも、過去に罪を犯した人間が更生する映画やドラマを観たら感動しますし、それができる世界こそがすばらしき世界だって思います。
それから、悪党を暴力で打ちのめす映画や漫画、大好きです。でも現実に暴力で解決しようとする人がいたら嫌いになります。
これ、なんなんでしょうね。「フィクションと現実は違うからww」では片付けられない矛盾です。
それが映画『すばらしき世界』です。

この世界は地獄か、あるいは――。

善意と不寛容が入り交じるこの世の中。今作を観て「感動した」「考えさせられた」と言っているうちは社会が変わることはないでしょう。だってその連続の上にあるのが“今”だから。
とすれば【すばらしき世界】とはいったい......


ここからはネタバレありで話します。
まだ観ていない方やネタバレが嫌だという方は一度ブラウザバックしていただければと思います。
この先も読んでいただける方はよろしくお願いいたします。是非あなたの感想も聞かせてください。


###三上という男
(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

元殺人犯の主人公、三上(役所広司)が13年の刑期を終え旭川刑務所から上京するところから映画は始まります。
ここで観客である僕たちが思うことは、三上が更生して社会に馴染むことができるのか、もしくはまた同じ過ちを犯してしまうのかということではないでしょうか。
彼は一見すると13年の刑期の中で更生した模範囚のようで、出所後に身元引受人になってくれた夫婦の優しさに涙するなど悪い人ではないんだなという気がします。しかも彼の優しい一面を時に暖かく、時にコミカルに描かれるので、どっちかと言えば三上の側に立って物事を考え、彼を元犯罪者というだけで冷たく接する人たちに怒りを覚えます。
しかし、殺人に関しては今でも納得していないという発言をしたり、不服なことがあればすぐにキレるという面も垣間見える。その時に僕たちが思うことっていうのは、さっきと逆で犯罪者はどこまで行っても犯罪者なのかもしれないということです。
こういった感情の変化を楽しんで、感動したり考えさせられるなと思うのが今作なわけですけど、それって結局は元犯罪者の人生を遠くから眺めて楽しむという構図なんですよね。
この構図を意識して映画を見ることがかなり大事だと僕は思うのですが、鑑賞中にそんな意地悪なことを感じる人はあまりいないのではないかと思います。かくいう僕もこの時点ではそんなこと気づいてもいませんでした。その理由は仲野太賀さん演じるテレビマン津乃田の存在ですね。
彼は番組制作のために三上に近づきますが、取材を重ねていくうちに彼の優しさと暖かさを知ります。
津乃田は観客を代表する存在なので、僕たちは津乃田の視点を通して三上を一人の人間として見ていくことになるわけです。
つまり三上という男を巡るあれこれは僕たちにとって対岸の火事ではなくなるのです。
ただし、あくまでも津乃田は取材対象として三上と接しているわけなので、僕たちも三上と接する上で遠すぎず、しかし決して近づきすぎずのバランスになるんですね。
このバランス見事です。しかもこのバランスが後々効いてくる。
そして、三上という男は僕たちのなかにある善意と不寛容の矛盾を浮き彫りにしていくのです。



###犯罪者は犯罪者
(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

今作のニクイところは、三上を決して善人としては描かないところです。
三上の優しい一面を見せると同時に、恐ろしい面が垣間見える描写も挿んで来るんですね。
最初は旭川刑務所を出所するシーンですよね。
ハキハキ喋ってキビキビ動く三上を見て、あー更生したんだなと思いますが、その次の場面では殺人に関して自分は悪くないと主張する姿が映し出されます。
その後も下の階の住人と揉めるシーンなど、ちょくちょく三上の暴力性が垣間見えるシーンが挿まれます。
極めつけはチンピラに絡まれるサラリーマンを助けるシーン。
劇中で津乃田も言っていましたけど、チンピラをボコボコにしている三上がすごくイキイキしているんですよ。これが俺の生きる道だと言わんばかりの笑顔。
それもそのはずで、三上はあれを悪いことだとは思っていないんですよ。だって人助けだから。仮面ライダーが怪人を倒すのと一緒、ルフィがクロコダイルをぶっ飛ばすのと一緒、アンパンマンがバイキンマンにアンパンチをくらわすのと一緒なんです。
この場面で大事なのはそこです。三上は情に厚く、正義感が強いがゆえに起こした暴力沙汰であるという点が後々の展開に響いてきます。
津乃田はチンピラをボコボコにしている三上を見て恐ろしくなり、逃げ出してしまいます。
殺人犯の三上が急に顔を出し、自分は関わってはいけない人と仲良くしているのではないかという意識が突如襲いかかってくるのです。
おそらく津乃田は悪いやつをぶっ飛ばす勧善懲悪作品を疑問を抱かず受容してきた人間です。悪いやつを拳でぶっ飛ばす主人公をカッコいいと思い、憧れさえ抱いていた人物なんじゃないかと思います。
別にそれが悪いわけではなくて、それがいざ自分の目の前で起こったらという話です。しかも自分とは直接関係はない、でも遠からずなところで。
暴力を見る自分ではなく、暴力をふるう三上にしか関心がいかない。この場面を見てあなたが考えていたことは、「状況はどうあれあそこまでやったら駄目だよ、結局三上は更生できないのか......」みたいなことじゃないですか?
あまつさえ吉澤(長澤まさみ)に痛いところを突かれる津乃田を見て「そうだよ!止めに入れよ!津乃田情けねえな!」と思う。
でもやっぱり、観ている間はそんなことには気づかないんですよね。都合の良い時には自分の物語として、都合が悪くなると別世界の物語として作品を享受する。気づかないまま映画は優しい世界へと突入していく。


###あたたかな世界。
(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

必死に社会復帰をしようと頑張るも上手くいかない三上。
どうにもいかなくなり、兄弟分であるヤクザの下稲田のところに転がり込むもヤクザの世界というのもまた13年の間で変化しておりここにも三上の居場所はなかった。
そんな彼を救ってくれたのは、まわりの人たちの善意でした。
身元引き受け人になってくれた先生と奥さん。元犯罪者のことを気にかけてくれるスーパーの店長、取材対象の関係を超えて親身になってくれるテレビマン。時に厳しくも自分のために尽力してくれる福祉事務所のケースワーカー。
彼らの善意に触れ、自分は一匹狼で生きているんじゃない、いつも他人に助けられてきたということに気づいた三上はこの人たちの優しさを無下にはしないと変化することを誓うんですね。
すぐにカッとなって攻撃的なってはいけない、耐えることや逃げることも負けではない。
この一連の流れにボロボロ涙しました。
見た目や経歴で人を判断して決めつけてはいけない、社会の不寛容さが三上のような人を追い込み、再び悪の道に堕とす。
不寛容な世界も優しさは溢れているということに感動し、「社会」と「人間」について考えるきっかけになった。
僕とあなたの目の前にもすばらしき世界は広がっているんだ。
“社会”を考えるきっかけになる良い映画で多くの人に観てもらいたいです。
終わり










ちょっと待てーーーーーーい!!!



違う、違うよ。感動して終わっちゃダメなんだよ。考えされられて終わっちゃダメなんだよ。


この後に及んで他人の物語にするんじゃない。これはあなたの“今”の物語なんだから。



感動の先にある本当のラスト

(C)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会


それはラスト、すばらしき世界を知った後に訪れます。


無事に介護施設での働き口を見つけた三上ですが、そこで職員によるいじめを目撃してしまいます。


以前の三上ならばすぐに飛び出していじめている職員をボコボコにしていましたが、成長した三上は怒りをグッと堪えて見て見ぬ振りをします。


えっ助けないの?って思いませんでした?僕は思ってしまいました。


暴力はダメだけど、話し合いで説得もできるじゃないか。いつでもどこでもカッとなるのはよくないけど、怒らなければいけない場面だってあるだろ。


でも三上が青年に怒ることはなく、自分を曲げて社会に適応した姿を見せられる。


その日の帰り道、いじめられていた職員から綺麗なコスモスの花束を貰い、元奥さんから今度娘と3人でご飯にでも行こうと電話がかかってくる。


すばらしき世界に浸ったまま、三上はその夜自宅で倒れそのまま息絶えます。


え、終わり?すっきりしない。なぜ?三上が最後の最後に自分の信念を曲げたから?でもそれが僕たちが望んだ社会に適応するということじゃん。なんでヒーローが悪に堕ちた瞬間をみたときのような気持ちになっているの?


いつでもどこでも暴力で解決しようとするのはダメだけど場合によるじゃん――
えっ、じゃあサラリーマンを助けようとしたときはその必要な場面じゃなかったの?



話し合いで解決する方法を選ぶべきだった――
えっ、話し合いで解決しようとしたけどどうにもならなかったのが三上が殺人を犯した経緯じゃなかった?



若いヤクザと福祉施設の青年は違う――
えっ、なんでわかるの?見た目で判断しちゃダメなんじゃなかった?



思い出す。焼肉屋で吉澤が言っていたことを思い出す。


「これは社会全体の話なのよ」


「元犯罪者が社会からあぶれた末に何をするかといえば、また一般人に被害を出すことだから」


「だけどきっかけがなければ、誰も自分事だとは思えない。三上さんが壁にぶつかったり、トラップにかかりながらも更生していく姿を番組にしたら、視聴者には新鮮な発見や感動があると思うんです」


うわ、うわっ......


ここで言っていた視聴者ってまさにさっきまでの自分じゃん。


勝手に三上を自分の理想とする正義に当てはめて、都合よく社会を考えるきっかけにしていた。感動して消費していた。


「社会のレールから外れた外れた人が今ほど生きづらい世の中ってないと思うんです。一度間違ったら死ねと言わんばかりの不寛容がはびこって。だけどレールの上を歩いている私たちも、ちっとも幸福なんて感じないから、はみ出た人を許せない」


あぁ......


「本当は思うことは三上さんと一緒なんです。だけど排除されるのが怖いから、大きな声は出さないんです」


あぁ......!


僕は都合よく三上を自己の代弁者にして、自分がやりたくないことを三上にやらせようとしていた。その理想から外れたからこんなすっきりしない気持ちになったんだ。


このラストを見せられるまで気づかなかった。あんなに繰り返し示されていたのに気づかなかった。


不寛容を壊すのが善意ではない。いや、不寛容から脱却するのは善意であるんだけど、不寛容を作り出すのもまた善意なのだ。


感動している場合じゃない、考えさせられましたってしたり顔で語っている場合じゃない。気づけ、早く気づけ、そこで終わってまた別の作品で同じことを思って、その繰り返しの上にあるのが“今”なんだ。


三上が変わってめでたしめでたしなのか、彼の最後の姿を“成長”で片付けて良いのか。


【すばらしき世界】とは――