こんにちは、こんばんは。
今回はディズニー最新作の『ラーヤと龍の王国』を観に行ったら、同時上映されていた短編映画にボロボロ泣いてしまったのでその話をしようかと。
途中からネタバレありです。
『あの頃をもう一度』
監督:ザック・パリッシュ
製作:ブラッド・シモンセン
製作総指揮:ジェニファー・リー
音楽:パイナー・トプラク
配給:ディズニー
上映時間:7分
あらすじ
音楽やダンスで賑わう活気ある都会の街。ダンスが好きな年配の男性と心はまだまだ若いが年老いた彼の妻は、ある夜に不思議な雨に導かれダンスをする喜びを再び思い出す。そして、その喜びが彼らを若い頃の姿へと変えてゆくのだが…。
オフィシャルサイトより引用
オールタイムベストな楽曲
今作は現在公開中の『ラーヤと龍の王国』と同時上映されている作品です。
同作はディズニープラスにてプレミア公開(課金して観られる作品)もしていますが、こちらの短編映画は映画館でしか観られません。
なのでこれから配信と映画館どっちで見ようかなと悩んでいる人には映画館での鑑賞をおすすめします!
ということでディズニーの短編映画『あの頃をもう一度』の感想を話していくんですけど、大傑作です!!
世界観としては、街の至るところで、人々が音楽やダンスを楽しんでいるという設定なんですね。
スマホいじるくらいの感覚でみんながダンスを踊っている。
で、主人公のおじいちゃんは、妻に外に出よう(=ダンスを踊ろう)と誘われるのですが、それを頑なに拒否するわけです。
妻の悲しそうな顔を見て、ひどいことをしたと後悔するのですが、やっぱりダンスは踊れない。
そんなある夜、街には雨が降り、おじいちゃんが何気なく窓の外に出て雨にあたるとなんと身体がみるみる若返っていくのです。
一目散に外へ飛び出し、同じように若返った妻と出会うと、二人はあの頃のように音楽とダンスを思いっきり楽しみます。
しかし夢はやがて覚めるもの。二人が若返っていられるのは雨にあたっている間だけ。次第に雨はやんでいき......
というストーリーです。
面白いのは、セリフは一切なく、全てを音楽とダンスで語っている点でしょうか。
まずなにより、音楽が良い!
Pinar Toprakが制作した「Us Again」という楽曲なんですけど、これが素晴らしいんですよ。
『キャプテン・マーベル』のサントラなんかも担当している方ですね。
本編は約7分あって、この「Us Again」という曲一本に映像を乗せて展開していくわけです。
この曲ひとつに喜怒哀楽が全部表現されていて、しかも感情の変わり目部分が全く不自然じゃないんですよね。
主人公の喪失感やそこからくる焦りや葛藤。
なんとかしてあげたいけどどうすることもできない妻のやるせなさ。
妻にそんな思いをさせてしまったことに対する自分への怒り。
若かりしあの頃を取り戻した喜びと高揚感。
人生の輝きと現の夢。
全てがこの楽曲一本に詰まっている。
つまり、セリフがないので物語の説明は全てキャラの表情や動き、あとは音楽でやるしかないわけですよ
それを完璧に表現しているのがこの楽曲なんです。
オールタイム・ベスト・サントラに入るかも。
次に物語性の部分にも触れたいと思うんですけど、ここからはネタバレ含むので大丈夫という方だけ読んでいただければと思います。
映画鑑賞後にもう一度読みにきていただけるとすごく嬉しいです。
あなたの栄光を愛したんじゃない、あなたを愛したの
主人公のおじいちゃんはなぜ外に出ることを頑なに拒否したのか。
それは過去のようには踊れないからです。
あの頃のようなキレはなく、思った通りに身体を動かすこともできない。それがどうしようもなく惨めで悔しいわけです。
これ、おじいちゃんってところがすごくポイントで、ダンスだからピンとこないかもしれないですけど、この主人公の感情ってまさに男性社会が生んだ問題そのものなんですよね。
「俺を雇ってくれ問題」って知ってます?
会社を退職した高齢者が知人経営者に「俺を雇ってくれ」と言って回るという問題です。言われた方は無下に断ることもしづらいし、かと言って雇うなんてもってのほかだし......というやつです。
なんでこの話をしたかというと、なんで「俺を雇ってくれ」と言うのかと言う部分が映画と関係があるからです。
「俺を雇ってくれ問題」の話を聞いて、退職したんだから趣味に時間を使うとかで余生を過ごせばいいじゃんと思いません?なんでそんなに仕事にこだわるの?って。
答えは簡単で、それ以外に自分の存在意義を感じられないからです。
身を粉にして働き家族を支えていることへの自負、「部長」などの分かりやすい称号。そういったものがなくなったときに自分は社会から捨てられると思ってしまうんですね。だから過去の栄光や功績にしがみ付く。
かといって今の自分に見合った仕事ができるかと言えばプライドが邪魔をするのでできない。俺はあんなにすごくて会社に必要とされた人間なのにこんなことできるわけがないと。
家事とか今までやってこなかったことを手伝えばいいじゃんと思うかもしれないけど、そういうことは女がやるものだからという価値観を簡単には変えることはできないのでそれもできない。
男が作り上げた、「男はこう」「男ならこうじゃないといけない」という社会規範に結局は自分が苦しまされているんですね。
今作の主人公がそこまで酷いやつだったのかと言われると、そこまでは判断できないのですが、少なくとも過去の栄光や功績にすがって年齢に見合ったダンスをするということは選択できないわけです。
あの頃のカッコ良かった自分が全てで、それを失ったことを認めてしまえば自分は何者でもなくなって社会から消えてしまうのです。
主人公があそこまで若い姿でいることにこだわるのは、単に楽しいひと時が終わって欲しくないからとか、夢から覚めたくないからとかじゃない。
もっと根深く深刻な問題で、自分が死ぬかどうかがかかっているからなんです。
けれど最後に気づくわけですよね。
私を輝かせていたのはあの頃の栄光ではない、私を愛してくれた人は私の功績を愛していたわけじゃない。
私を輝かせてくれたのは私自身で、妻が愛してくれたのは私自身だった。
その時広がる雨上がりの街のきらめきを見たら涙止まりませんよ。
たった7分間で、人生とはという哲学の一つの答えを見せられるわけですから、大傑作としか言いようがないです。
『ラーヤと龍の王国』と同時上映っていうのもすごく噛み合わせが良くて、今書いたことって少し描き方を間違えれば「結局女性は男性をケアするための存在として描かれている」と言われてしまうんですよ。
だって、妻のおばあちゃんは決して主人公を見捨てないし、最後は優しく抱きしめてくれるし。
そんなことを言っている映画ではないことは明らかなんですけど、それでも言われる可能性はある。
で、『ラーヤと龍の王国』が出てくるんですけど、この作品って性別が全く物語に関係ないんですね。
みんなの評判通り、女同士の関係性映画ではあるんですけど、女であることに必要以上の意味がない。
具体的にいうと、『モアナと伝説の海』なんかでは、今まで男性が支配していたポジションに女性が立てるのかみたいなテーマを内包していたわけです。男性性、女性性からの解放ですね。
『ラーヤと龍の王国』ではそこはデフォルトになっていて、映画のテーマとしては全く語られません。モアナやアナ雪で語られたことが当たり前になっている世界なんですね。
つまり、『あの頃をもう一度』が男性優位の社会を描いているわけじゃないというのが『ラーヤと龍の王国』で補強されるわけです。
一見すると全く違う作品に見える2つの作品ですけど、よく見ると相互に作用しあってるんですよ。
この辺からもやっぱり今映画館に観に行ってほしいなあ。無理強いはできないけどね。
兎にも角にも、7分間でここまでできるんだなと感動しました。
『ラーヤと龍の王国』もすごく良かったので、気が向けばそっちについてももっと詳しく書きたいです。気が向けばね。
ではまた。