【感想】映画『バイオレンスアクション』には邦画業界の闇が凝縮されているように思えてならない

映画『バイオレンスアクション』の感想です。
途中からネタバレありです。ネタバレに行く前に忠告文を書いているので見逃して文句言わないでね☆



『バイオレンスアクション』
2022年/111分/日本
監督:瑠東東一郎
脚本:江良至、瑠東東一郎
原作:沢田新、浅井連『バイオレンスアクション』(小学館)
主題歌:[Alexandros]「クラッシュ」
出演:橋本環奈、杉野遥亮、鈴鹿央士、岡村隆史、城田優 etc......
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

目次



何もかもが”それっぽい”で出来ている典型的なダメ邦画

日商簿記検定2級合格を目指し専門学校に通う20歳の菊野ケイ。ゆるふわ系専門学生の彼女は凄腕殺し屋という夜の顔を持っていた。 ある一件の依頼を受けたことから、彼女はヤクザの巨大な抗争に巻き込まれていく......


2016年より小学館の漫画配信サイト『やわらかスピリッツ』で連載されている漫画を実写映画化した今作。監督は元々はバラエティ番組に携わってた方で『おっさんずラブ』や『極主夫道』を撮った瑠東東一郎。脚本は同じく瑠東東一郎、そして『ミナミの帝王』シリーズでお馴染みの江良至。


昨年、高校を卒業したばかりの元女子高生殺し屋コンビを描いた『ベイビーわるきゅーれ』がヒットし、それに続けと言わんばかりに公開された本作。橋本環奈を主演に、ゆるふわ女子✕殺し屋のギャップで魅せる本格アクションエンターテイメント!


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ということで結論から言うと、ダメダメのダメ。


ふわふわしている女子大生(専門学生)が実は殺し屋でひょんなことからヤクザの抗争に巻き込まれてさあ大変というのが今作のストーリーだが、女子大生の日常、殺し屋、ヤクザ......どこを切り取っても全部"それっぽい雰囲気”を漂わせるだけ。


アクションも酷いったらなんの。予告編を見る限り、地に足付いたアクションをソニーが誇る”ボリュメトリックキャプチャ”を使って撮影したという印象を受けるが、実際は全く違う。異常に多いカット割りと雑なCG、エモい風な音楽と演出で誤魔化しまくり。唯一まともに見れたのはカーアクションくらいで、他はもう......そのカーアクションにしてもディテールは酷いけど。


ドラマ部分も酷いし、色々な描写がダメ邦画の詰め合わせみたいな感じでとにかく見てらんない。


まあ、たしかにクオリティが暴力的という意味ではバイオレンスだったと思う。ということで、ここからはネタバレありでどうしてそう思ったのかを記述していく。

※ネタバレが嫌な方はここでブラウザバックしてください。鑑賞後にもう一度読みに来てくれると幸いです。 引き続き読んでくださる方はよろしくお願い致します。ぜひあなたの映画に対する感想もお聞かせください。

映画が目指した作風と原作の作風のミスマッチ

おそらく今作は『ザ・ファブル』+『今日から俺は』のような作品を目指したのだと思う。本格的なアクションとコメディの融合をして、よりPOPで若者にウケるような感じでみたいなオーダーがあったのではないか。


ただ、そのために『バイオレンスアクション』という作品を使うのは完全に悪手である。


というのも、『ザ・ファブル』と『バイオレンスアクション』は同じ日常系殺し屋作品でも、向いている矢印が真逆なのである。同じテイストで作ろうとしても上手くいくわけがないし、そこに『今日から俺は』みたいな雑CGアクションを取り入れても淡々さが失われるだけである。


具体的に述べると、今作ではケイが「専門学生なのに殺し屋」なのか「殺し屋なのに専門学生」なのかが全然定まっていない。これは結構重要で、どちらなのかでケイの人物像も作品自体のテイストも全然変わってくるのだ。前者は一般人としての当たり前が”イカれ”を演出してギャップが生まれ、後者は殺し屋としての当たり前がギャップを生む。


例えば殺し屋が一般人として暮らそうとする『ザ・ファブル』や、大人の殺し屋として社会に適合しなければいけなくなった『ベイビーわるきゅーれ』は後者のパターンに当てはまる。つまり殺し屋が一般人の日常に混じる違和感が物語の起点となる。一方原作漫画の『バイオレンスアクション』は20歳の専門学生が淡々と殺しをする様子を描いているので前者にあたる。殺しの世界に一般人の常識を持ち出す違和感が起点となっている。


要するに、出口は一緒でも入り口は異なるのだ。 ここを見誤ったことが今作にチグハグな印象を与えてしまう一番の要因なのではないか。

雑なCGとダサいエモさで乗り切ろうとする超絶アクション

かといって、アクションやドラマも決して良くはない、というかひどい。


今作は先にも述べたとおり、”ボリュメトリックキャプチャ”というソニーが開発した新技術を日本で初めてつかいアクションを撮影した作品である。


”ボリュメトリックキャプチャ”とはなんぞやというのは自分で調べてほしいのですが、簡単に言うと、今までの技術では不可能だった視点からの撮影やカメラワークが可能になるよ!日本のエンタメすごいことになるね!という技術である。

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本予告映像を見てもわかると思うが、たしかにこの技術を使っている部分は良いと思う。ただね!一瞬すぎるよ!!「日本初のすげえ技術を使ってます!」と謳っているわりには、それを活かしたシーンは全編通して数分もなかったと思う。


橋本環奈がアクションに挑戦!って話題になってるけど、まともに映ってるの動き出しと終わりのポーズだけだからね。後は異常に多いカット割りやスローモーションで動きを誤魔化したり、雑なCG(たぶんわざと)で高速移動したりスーパージャンプをしていたり......


これ見て橋本環奈がアクションやってる!すげえ!ってなる人いなくない?


雑なCGを使ってありえない高速移動をしたり、仮面ライダークウガのドラゴンフォームばりのジャンプをするのは別にいいよ。でもね、百歩譲ったとしてもよ、複数人から撃たれる銃弾は全回避できるのにネイルガンは見切れなくて全被弾は意味がまったくわからない。カーチェイスのところとかはまだましだっただけど、ここも街中なのに他に車が一切走っていなかったり歩行者が動画撮影している男1人だけとディテールの酷さがかなり目立つ。


あと殺し合いシーンにPOPミュージックをかけ合わせるのも、絶妙にダサい。選曲もそうだしシチュエーションも「こういうのがウケるんでしょ」で上っ面だけ掬った感。マンウィズとかベガスを使うのはいいんだけど、こだわりを持って選曲しているわけではないことは明白なので別にテンションは上がらないし、アクションはじっくり見せないくせに、SONYのワイヤレスイヤホンを着けるくだりはじっくり時間を掛けて映すのとかも気持ち悪い。


そもそも白のニットセーターが一切汚れないアクション映画ってなんだよ。


状況説明はドラマではない

ドラマ部分に関してもかなりひどい。というかドラマがない。例えば、主人公のケイが昼間は専門学生で夜は殺し屋というのもただそういう設定というだけだし、ヤクザ周りにおいても状況説明だけ。


説明はしているからキャラクターの行動原理はわかりますよ。でもこの人とこの人はこういう関係で、この人がこういうことをしたからこんなことが起きますという説明をしているだけで、そこに人間味が一切ないし全ての出来事に「はい、そうなんですね」以外の感情が浮かばない。


ケイが簿記検定2級を取ろうとしているのも、非日常に飲み込まれないための命綱という意味があって、それが映画全体のテーマだったりドラマになるのに、殺しの現場で試験の勉強をしている場面を撮るためだけの設定になっていてそこからの広がりがなにもない。一応、「どこでも勉強はできる」というケイのセリフから杉野遥亮演じるテラノが諦めない決意をするという展開に繋がるのだが、今度はテラノのドラマがないから別に何も生まれない。


ダリアの両親を殺した男と、クラを撃った男が同じという繋がりも作っているけど、これも登場人物を整理する以外の意味はない。そもそもダリアのエピソードが本筋と全く絡まないので冗長に感じてしまうだけだし、みちたかくんとの戦いもメインストーリーとは全く関係がないので、ふたりの戦いを熱い雰囲気で見せられてもなんだかよくわからない。みちたかくんを倒した後も、すごく駆け足なのにダラダラしてて見ているのが辛かった。


あとは、鈴鹿央士演じる渡辺が物語上全く必要がないとか、ロマンス描写がいらないとか、結局ヤクザの権力争いも魅力的に描けてないとか挙げればキリがない......


これなら原作通りに短い話が連続するオムニバス方式にするか、潔くダリアのエピソードとかはカットして一つに絞るとかしたほうが良いのではないか。


第一、主人公のストーリーよりヤクザのストーリーの方に力が入っているのがそもそも作品として破綻してるし。


まあ、監督が作りたかったのはたぶんこっちなんだろうね。

どうしてもセクハラがしたい日本映画

それから、今作において一番キツイなと思ったことについて。


セクハラ描写である。


先に言っておくと、こういった描写自体が悪だとは思わないし、必要なら描けばいいと思う。僕がキツイと思ったのは、描写そのものではなく制作サイドの姿勢である。


今作では橋本環奈が尻を触られたり思いっきり胸を揉まれたり、おじさんが若い子にセクハラノリをかましてくる描写だったりなど、いわゆるサービスショットが多々描かれている。そういった描写に対し、作中でみちたかくんという女性蔑視キャラに向かって「それってミソジニーって言うんだよ」というくだりがあったり、岡村隆史演じるおじさんのセクハラに対してキモいと言ったりなど、「セクハラはダメだよ」という目配せはしている。ただしこれが全くもってズレている。


なにがズレているのかというと、「セクハラは駄目だということを伝えるためのセクハラ描写」ではなく「セクハラ描写を正当化するためにセクハラは駄目だと言わせる」になっているのである。


岡村隆史のセクハラ描写をラストの感動シーンに持ってくるところとか、わざわざ今回の映画とは関係がない漫画の5巻からBL好き設定を持ってきて、公共スペースで同人誌を読んで騒ぐ女子を描いたり、バスで助けてくれたイケメン好青年にキュンとするといった、馬鹿にしたような女子大生の日常描写からして露悪さが滲みでている。


その上でセクハラは駄目だよねって言ったところで、飲み会で散々セクハラをしたあとに「令和じゃセクハラになるのかな?気をつけないと!」って言ってわかってます感を出して許してもらおうとするキモおじと同じである。


特に胸を揉まれるシーンは、原作にもあるからといってやる必要がある場面ではないし、既に橋本環奈というパブリックイメージを利用しているのだからセリフ+腕をつかむくらいで十分である。しかも原作にはないテラノとの恋愛要素まで入れてるんだから、彼がケイを助ける理由もあるしそもそも胸を揉むくだりがエンパワメントの布石にもなっていない。


原作ファンは橋本環奈が胸を揉まれるシーンに期待しているだろう以上の意味はないと思う。ちなみに言っておくけど、顔が映っていない=橋本環奈が実際に揉まれているわけではないということくらいわかってるからね。


BL同人誌を読むくだりは「女性だってわきまえずにBL(=エロ)で盛り上がって騒いだりしてるよね」というセクハラに対する言い訳でしかないからね。てか女子大生の日常を、学校でBL漫画を読んで騒いでるとかバスで年上イケメン好青年に恋をするだとか思ってるのがキモい。


これだと作中の描写が持つテーマとは逆行しているということに気づかないもんかね。


どうしてもセクハラがしたい邦画業界キツイっす。



業界の闇が凝縮されているようにしか思えない。

とはいえ、これらの駄目要素が全て脚本や監督のせいなのかと言うと、少なくとも今作に関してはそうじゃない気がする。


というのも、今作にはあまりにも”芯”がないのである。


専門学生の殺し屋というメインの話よりも、ヤクザの抗争の話の方に力が入っているのもそうだし、アクションのどこに気合いが入っているのかよくわからないチグハグさもそう。作品の方向性がどこに向かっているのかが観ていてさっぱりわからない。


ではなぜそんなことになるのか?


本当のところはどうなのかというのはわからないのであくまでも憶測だが、すごく色々な方面からの声が入っているんじゃないだろうか?


例えば、さっきも言った通り、今作は『ザ・ファブル』+『今日から俺は』のような作品を目指したようなきらいがある。


映像化が発表されたのが2020年7月なので、企画自体が立ち上がったのは2作が公開されるよりも前だが、2022年1月にクランクインしたことから逆算していくと”実写映画”でどういった方向性で制作するのかが決まっていく過程で色々なオーダーがあったのは想像に難くない。


原作にはない恋愛要素を入れているのも、それがないと若者にはウケないという古来からなにもアップデートされていない定説によるものだろう。


わかりやすいところで言うと、戦闘時にわざとらしくSONYのワイヤレスイヤホンをつけて、Sony Music所属のマンウィズを聴くのもそういうことだろうし、”ボリュメトリックキャプチャ”に関しても、それを使ったアクションを撮って欲しいと言われたわりには予算が相当なかったんだと思う。


『ザ・ファブル』がヒットしたから、うちはボリュメトリックキャプチャを使った本格アクション映画にしよう!そこに福田雄一作品みたいなコメディ要素を入れたら大ヒット間違いなし!でも予算はこれしか出せないからその中で頑張ってね!主演は集客力もあって可愛い橋本環奈で!ゆるふわ女子大生の日常なんだから恋愛要素もなくちゃ駄目でしょ。最近流行ってるBLも入れればいいんじゃない?LGBT?とか流行ってるし。じゃあ監督、よろしくね! あっそうそう!SONYのワイヤレスイヤホンの宣伝も忘れないでね!


みたいなね。


あくまでも商業映画で、監督主導の企画ではないにしてもここまで意思のない作品を見せられると邦画に未来が見えずガッカリしてしまうよ。