【感想・考察】映画『樹海村』の絶対に考えすぎ考察

どうも。


今日は映画『樹海村』感想です。

樹海村〈小説版〉 (竹書房文庫)

樹海村〈小説版〉 (竹書房文庫)


始めにちょろっとネタバレなしで観ていない人向けに感想を話して、その後ネタバレありで感想と考察を書いています。


ネタバレに行く前にもう一度忠告するので見逃さないでね。





『樹海村』


樹海村 60秒<予告>

監督:清水崇
脚本:保坂大輔、清水崇
プロデュース:紀伊宗之
撮影:福本淳
音楽:大間々昴
主題歌:CHiCO with Honey Works「鬼ノ森」(ミュージックレイン)
出演:山田杏奈、山口まゆ、神尾楓珠、倉悠貴、工藤遥、大谷凜香、山下リオ、塚地武雅、黒沢あすか、高橋和也、安達祐実、原日出子、國村隼
配給:東映
上映時間:117分


jukaimura-movie.jp




『犬鳴村』が好きな人は観にいけばいいんじゃない。


犬鳴村風鳴村』に続く恐怖の村シリーズ第3弾に続く恐怖の村シリーズ第2弾です。


まあまず観ていない人向けに映画を紹介すると、『犬鳴村』が好きな人は観れば良いと思うし、嫌いな人は観なければ良いと思います。Jホラーの回帰を期待している人は『犬鳴村』の時と同じ気持ちになりますよ。


そもそもシリーズなんだからこの期に及んでJホラーがどうの言っている人はよくわかんねえなとは思いますけど。


あとはホラーの良し悪しの判断基準が「怖いかどうか?」だけの人はたぶん面白くないと思います。僕は怖かったけどね。


それでね、これはネタバレじゃないので先に言ってしまいますけど、構成が『犬鳴村』と同じなんですね。


こんな都市伝説(村)があるらしい→都市伝説(村)に触れた人たちの身に不可解なことが起きる→村に潜入だ!


っていう流れ。


観終わった後に映画に持つ印象も一緒。前半怖かったのに後半でジャンルがガラッと変わって......という。


なんでわざわざテーマ変えて同じことやるんだろう。恐怖の村シリーズってなに?って考えたら、もしかして清水崇監督、脚本の保坂大輔さん、プロデュースの紀伊宗之さんの3人はとんでもないことをしでかそうとしているんじゃないのか!?という疑念が浮かんできたので今回はそれについて話していこうと思います。


なお、絶対にないだろうという考察なので話半分で聞いていただければ......笑


いや、絶対にないとは言い切れないか......?


ということでここからはネタバレありになります。


ネタバレが嫌な方はここでブラウザバックしていただければと思います。


この先も読んでいただける方は何卒よろしくお願いいたします。あなたの感想や意見も是非聞かせてください。


ではいきましょう。





ネタバレあり感想

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(C)2021「樹海村」製作委員会


の前にちょっとだけ考察とかじゃなくて単純に見た感想を。


いやー怖かったですけどね笑


あっくる......って思ったらこなかったり、それで油断してたら来たりとか、その使い分けがめちゃくちゃ上手くなかったですか?ジャンプスケアともちょっと違うのかなと思いましたけど。


病院でドランクドラゴン塚地さんが演じる先生が落ちてくるシーン、エレベーターに乗った時点でこいつ死ぬなとは思ったけど、完全に油断していて声出ちゃいましたもん。まわりに誰も座っていなくて良かった......


金髪の男の子が指切っているシーンもよかったですね。怖いとはまた違うのかもしれないけどゾクッとした。彼は首切ったのに生存したんですね。呪いを広めるために生かされた感じかな。


霊とゾンビの中間みたいな樹海人間たちも、呪いが人と人との関係の中で生まれたものとして考えれば全然いいと思いますけどね。樹海人間も犬人間もいわば被害者じゃないですか。村シリーズにはもっと根源的な呪いってものがあって、今作で言えばコトリバコに込められたなにかなんじゃないですかね。


あーコトリバコの生々しさも良かった。あの箱なのに生きている感じがめちゃくちゃ良く出来ていて気持ち悪さが最高でしたね。


あとはお寺の住職が超良くなかったですか?高橋和也さんカッコよかったー。


響たちがコトリバコを持ってきたときは、気がどうこうこうとか、胡散臭い奴がよく使う言葉遊びみたいなことして頼りねー!!こいつ駄目駄目なやつじゃん!!って思ってたら、実は命かけて戦っていたと言うギャップ最高。


お経も聞いたことのないやつですごくよかった。オリジナルかなあ。


疑問点で言えば、アキナの配信視聴者たちと響が樹海に行くシーンあるじゃないですか。あそこの時系列がよくわかんないんですよね。


というのも、後半で鳴が樹海に行ってこの人たちに会うところと服装違うんですよね。


響と別れた後に死んだなら服装同じになるはずじゃないですか。別日に改めて樹海に行って、そこで死んだってことでいいのかな。


あとは山下リオさんの存在が謎でしたね。彼女は何のためにいたんだろう。あまりにも役割なさすぎだし、ただの樹海監視員ではないと思う。今後の村シリーズでキーマンになるんじゃないかなーと予想しておきます。


不満点はラストがヒューマンドラマに寄せすぎで少し気に食わないなと思ったのですが、それに関しては後の方で書いているので是非最後まで読んでいってください。


そんなところかなー。


じゃあ本題に行きますか。





不可解なアキナという存在


まず考えるのが、今作は『犬鳴村』の世界との繋がりはどうなっているのかという点です。


ストーリー的な点から見れば繋がりは全くないですね。『犬鳴村』を観ていないとわからないなんて事は全くないです。


だから恐怖の村シリーズって言っても、都市伝説になっている村を題材にして単体のホラー映画をたくさん作っていこうというプロジェクトとも捉える事はできます。


もしくは『犬鳴村』の事件と同時期に起こった出来事のパターン。最初はこのパターンなのかなとも思ったんですよ。同時多発的に【村】という箱に閉じ込められた呪いが何かのきっかけに一斉に吹き出しているみたいな感じかなと。それだとユニバース的展開に持っていくこともできるよなーとか考えていました。


ただ、登場人物を見て欲しいんですよ。


今作では『犬鳴村』から続投している人物が二人います。


一人は冒頭でライブ配信をしていたアキナです。彼女は『犬鳴村』で配信をしていた明菜と同じ役者さんが演じています。もう一人は病院で出てくる男の子。神尾楓珠さん演じる輝が、病院の屋上から落ちてきた院長に巻き込まれて死ぬシーン。あの直前に出てきた男の子です。


笹本旭さんの名前がクレジットされていたのでこれは間違いないと思います。

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(C)2020「犬鳴村」製作委員会


この二人が『犬鳴村』と共通する人物なんですけど、なんかおかしくなかったですか?


まず、アキナなんですけど、彼女『犬鳴村』で死んでますよね。おしっこ漏らして自殺していますよね。


これがまじでわからないんですよ。ただのファンサービスでも片付けられるけど、何にもないわけないと思うんですよね。


考えうる可能性は「輪廻転生説」、「マルチバース説」、「なんの意味もない説」といった辺りでしょうか。


まずは輪廻転生の可能性について考えてみます。


この場合だと、『犬鳴村』と『樹海村』の時代設定は全く別で異なる時系列の物語ということになります。つまり明菜(犬鳴村)が死亡したのちアキナ(樹海村)に生まれ変わり、再び都市伝説に手を出して死亡する。そして第3作目で再び生まれ変わり死ぬ。


こういう悲劇のループに陥っているということですね。


一応明菜とアキナは別人物っぽくはあります。死んでいるはずというのもそうですが、名前が漢字表記とカタカナ表記であること、性格が若干違うことも見て取れるため、同じ顔をした別人物と解釈するのが今のところは自然そうです。


ただこれだとそもそもの時代設定に無理が出てくる気がします。どう見ても同じ時代っぽいし、絶対テクノロジーももっと発達してるだろって話ですよね。


次にマルチバースの可能性について考えてみましょうか。


これは要するに、『犬鳴村』と『樹海村』は並行世界の話で、時代は同じだけど次元が違うということですね。


どの次元にも明菜(アキナ)は存在していて、そのどれもが都市伝説に巻き込まれて死ぬ運命を辿るという仕組みです。


これだと時代設定が同じことには説明がつきますし、死んだはずの明菜がアキナとして存在していることにも辻褄が合います。


ただこれでも少し不可解な点があるんですよ。


今作冒頭でアキナが樹海でライブ配信するくだりがあるでしょ。そのシーンでコメント欄に2つ目の潜入どうたらみたいなことが書いてあるのがチラッと映るんですよね。


つまりアキナは樹海村にやってくる前に別の恐怖村に行って配信しているんです。これ犬鳴村ですよね?別の村の可能性もあるけど、これはほぼ確実に犬鳴村のことを指していると見て良いと思います。


となると、別次元説が成り立たなくなっちゃうんですよねー。


だから、僕は輪廻転生とマルチバースの合わせ技かなと考えています。





時間、空間、次元が混在する


まず、『犬鳴村』も『樹海村』も因果の物語ですよね。過去の出来事が現在に作用するという構図じゃないですか。そこをタイムトラベルだったり記憶の干渉という手法を使って見せていくわけですけど。


これをとりあえず【時間の因果】としましょうか。過去が現在に、現在が過去に干渉している。


次に空間です。村シリーズでは空間も大事な要素になっています。


今作ではコトリバコを置かれた家は呪われるという設定のもとで話が進んでいきます。そして呪いの空間(範囲)を人を介して広げていく。


これ『呪怨』も同じですよね。呪いの家に関わると死ぬ。そしてその呪いは人を介して広がっていく。


じゃあこれを【空間の因果】としましょう。場所と言い換えても良いです。呪いの家、呪いの村、人と人の関わり、こういうのを指します。


実際主人公たちは時間の行き来の他に、空間も飛び越えていますよね。『犬鳴村』でいうならトンネルを通ると時間だけでなく場所も飛んでいるじゃないですか。『樹海村』でも、クライマックスでは空間を移動してきていますよね。


最初の方は精神を飛ばしているみたいな感じだったけど、最後の最後で自信を犠牲にしてを助ける場面では完全に空間を移動しています。


この二つが『犬鳴村』『樹海村』各作品のメイン軸だったわけです。


時間と空間が混在してグチャグチャになっていく怖さがシリーズの肝ということですね。


ただ、明菜(アキナ)の存在がそれをややこしくしている。


そこでもう一つの軸として【次元】の話が出てくる。


姿かたちが変われど、呪いが消えることはない。つまりアキナはどの次元にいても【村】に呪われる運命にある。


つまり各作品単体では時間と空間が軸となり物語が作られる。村シリーズになるとさらに次元という軸が追加される。これが恐怖の村シリーズの構造ではないでしょうか。


病院の男の子にもちょっと触れておくと、あの子も単に同じ人物というわけではなさそうなんですよ。遼太郎君ね。


というのも『犬鳴村』では彼も実は犬人間だったみたいなオチだったじゃないですか。


でも今作で出てきたときはそれとは関係ないっぽい能力使ってそうな感じだったんですよね。


全くの同じ人物というわけではなさそう。それか彼に関してはもっと神的な立場な存在な可能性のありますね。


とにかく、明菜(アキナ)と遼太郎がシリーズのキーになるのは間違いなさそう。


こうなると遼太郎の母親役を奥名恵さんが演じていたことも大事な気がしてくるんですよね。彼女、劇場版呪怨の主人公ですからね。何かあるんじゃないかと勘繰ってしまう。


それからもう一つ考えるべきこと。『犬鳴村』『樹海村』で共通していることが、どちらに出てくる呪いも世界からいないことにされた人間たちによるものですよね。


この「いないことにされる」「なかったことにされる」というのはシリーズを通してかなり重要なことであると推測できます。


そして、例えば「なかったことにされる」これを作品そのものに当てはめてみて欲しいのですが、『犬鳴村』がなかったことにされた世界が『樹海村』と考えることもできないでしょうか。


であれば『犬鳴村』と『樹海村』は別アースの物語とすることができる。そうなると映画の構成が全く同じなのも意味があるような気がしてくるのは僕だけだろうか。


そしてこれらの世界で明らかに異常な存在である明菜(アキナ)と遼太郎。


アキナはどうやら樹海村に行く前にもう一つ都市伝説に関して配信をしているらしいという事実。


時間と空間が混在する裏で、次元の混在も起きている......その次元のひとつにはもちろん僕たちが住む世界も含まれているのだろう。


では清水崇監督たちは恐怖の村シリーズでいったい何を伝えたいのか......





恐怖の村シリーズが描こうとしているもの


清水崇監督たちは恐怖の村シリーズを通していったい何を描こうとしているのか。


それはおそらく僕たちが思っているものよりももっと大きな概念としての呪いなのではないか。


恐怖の村シリーズが何本の作品から成るものなのかはわからないが、とにかくシリーズ全体で一本の作品とすると、『犬鳴村』『樹海村』といった作品たちはその中の主人公の異なる1エピソードということになる。


この構成、思い出さないですか?


呪怨のオリジナルビデオ版とそっくりじゃないですか。


呪いの家を舞台にしてそこに関わった6人の主人公の運命を辿る『呪怨』という作品。


仮に呪怨をなぞっているのだとしたら、呪いの家にあたるのが【村】、伽倻子と俊雄にあたるのがアキナと遼太郎と考えることもできる。


そして、あえてなぞっているんだとしたら、この人たちがやりたいことって呪いの再定義なのだろうか。


清水崇監督は今のJホラーと呼ばれるものを作り上げた人たちの一人であると同時に、コンテンツとして、ある意味呪いを壊すきっかけを作った人たちの一人でもあるじゃないですか。


大袈裟に言うならば、一度死んだJホラーへの贖罪と、ある種笑えるコンテンツとしてホラーを消費してきた人たちへの復讐なのかなと。


それなら怖くある必要がない。むしろ「全然怖くねえじゃーんww」と思わせることが大事です。


呪いはどうやって生まれたものなのか、そして呪いをコンテンツ化するとはどういうことなのか。


はっきりしていることは、このシリーズの呪いとは臭いものに蓋をして、なかったことにしたことが原因ということ、主人公たちはYouTubeという媒体を通して呪いをコンテンツとして消費していたということ、時間と空間が混在しているということ。


そして全て僕たちの住む世界に存在する都市伝説であるということ。


ここを考えていくと今作のラストもすごく納得できました。


僕が観終わってすぐに思ったことが、結末嫌だなーです。響が犠牲になって鳴を助けるシーンなんですけど、響って樹海に捨てられる側の人間じゃないですか。頭のおかしいことを言って病院に入れられている。


樹海村の住人になった人物たちは社会の正常から外れて迫害されてきた人たちのわけで、響が樹海村側に行ってしまうと言うのは何の解決にもなっていないじゃないですか。


結局、現代でも社会規範から外れた者は迫害され、なかったことにされる。そしてやがて忘れられる。


えっ、2時間いったい何見せられてたの?結局そこに落ち着くの?って気持ちになったんですけど、まさにそれが狙いだったのかもしれない。


今はこうやって怒っているけど一週間後には響のことなんて考えていなくて、樹海に捨てられた人のことなんて忘れて別の映画の話をしている。


それこそが樹海村を産んだ原因なのに。


たぶん清水崇、保坂大輔、紀伊宗之の3人は壮大な罠を仕掛けている。


もっとオカルトをバカにしろ、もっとホラーを下にみろ。もっと忘れろ。


それが呪いを強める。


あと2作か4作か、時間と空間、次元が混在した先で新たな呪いが産み落とされる。その場所は他ならない僕たちの住む世界であり、ホラーの概念が根本から変わる。


そんな壮大な計画を『樹海村』から感じ取ったのですが、やっぱり考えすぎですかね?笑