【感想】映画『LOVE LIFE』が示す静かな地獄とその先にある希望について

映画『LOVE LIFE』のネタバレ感想です。

『LOVE LIFE』
公開日:2022年9月9日全国ロードショー
監督・脚本:深田晃司
出演:木村文乃、永山絢斗、砂田アトム、山崎紘菜、神野三鈴、田口トモロヲ
主題歌:矢野顕子
音楽:オリビエ・ゴワナール
配給:エレファントハウス


あらすじ

主人公の大沢妙子は再婚した二郎と息子の敬太と三人で集合団地で暮らしていた。二郎の父親は二人の結婚を快く思っていないものの、妙子は幸せな日々を過ごしていた。再婚して1年が経ったある日、悲惨な出来事が一家を襲う。敬太がオセロ大会で優勝し義親も含めてお祝いをする面々。その日は義父の誕生日でもあり二郎の職場の人たちも交え楽しい一日を過ごしていた。しかしその最中、誕生日プレゼントで遊ぶ敬太が風呂場で足を滑らせ浴槽に落ち溺死してしまう。楽しいひと時が一瞬で地獄に変わる。悲しみに打ち沈む妙子だったが、そんな時に家族を捨て失踪した元夫で敬太の父親であるパクが現れる。生活保護も受けられずに公園で寝泊まりするパクを放っておけない妙子は彼の身の回りの世話をするようになる。一方で、二郎は同じ職場で働く元恋人の山崎が仕事を長い間休んでいることを心配し、彼女の実家を訪ねていた。 小さなすれ違いによって、幸せな日々に潜んでいた地獄が静かに顔を表していき、その果てで彼女たちは【選択】をする。自分の人生を愛するために。

LOVE LIFE

LOVE LIFE

  • アーティスト:矢野顕子
  • ソニーミュージックエンタテインメント
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感想

静かな地獄を通して真摯に人間を見つめる映画


誰かの幸せは誰かの不幸であるー


幸せの基準や定義というのは個々によって全く違う。それに気づかないと、良かれと思ったことが相手を傷つけたり、逆に勝手に相手を理想化して傷ついたりする。普段はそういった自身の感情を互いに取り繕い合い、都合の悪いことはあえて見ないことで調和は保たれる。それは決して悪いことではなく、それが気遣いや思いやりであり、人間関係というものである。


しかし、些細なきっかけで調和は崩れ、地獄が顔を出す。今作はそんな”静かな地獄”を描いた映画なのだが、この地獄の示し方が怖いくらいに上手い。


序盤の妙子の義親が家に来るシーン。二人の結婚をよく思っていない義父が妙子に心言葉をかけ、その後義母がフォローを入れるという場面があるのだが、ここでの義母が妙子に掛けた言葉があまりにも恐ろしく鳥肌が立った。なぜ妙子があんな顔をしたのか、わからない人にはどんなに説明しても理解できないであろう、とんでもなく解像度が高いセリフである。僕はこの瞬間に覚悟を決めた。


確執のある義父の誕生日パーティーと愛する息子の死を同空間内で描かれたことで、今作が誰の日常にも潜む地獄が静かに顔を出す映画であることが確定する。妙子、二郎、敬太の幸せな暮らしをよく思っていない義父や二郎の元カノ。妙子を気遣う義母の無自覚ゆえの残酷な一言。この人は信じられると思っていた人の幸せが自分にとっての幸せではないということが何度も何度も繰り返し示されるが、ここでのポイントは、妙子もまた誰かを無自覚に傷つけているということである。


それがわかるのは後半、パクが韓国へ旅立つシーン。パクが失踪したことで傷ついてくれたのは二郎であり、彼は敬太にとっても良き父となってくれていた。にも関わらず最後にはろう者であるパクには私しかいないんだと一緒に韓国へ行く選択をとり、そしてまた裏切られ日本へ帰る。一方で二郎もその場の空気に流されて元カノの山崎とキスをし、また妙子と結婚するにあたって山崎を捨てている。


こうして誰しも他者にとって良い面と悪い面を持っているということを俯瞰的に捉えることで人間の持つ身勝手さのようなものを浮き彫りにしていくのである。


また、「見る/見られる」の構造も大事なポイントとなっている。わかりやすいところで言うと、目を見て会話ができない二郎と手話という見なければ成立しない会話をする妙子の対比が挙げられる。また、そもそも今作が引き起こす地獄というのはすべて“見ていない”ことに起因している。子どもの様子を見ていなかったことで起きた事故。自分の幸せしか見えていないからしてしまう残酷な発言や行動。見てしまったことで起きるすれ違い......


ここから分かることは自分は思っているほど他人を見てないし、他人も自分のことを思っているほど見ていないということだ。つまるところ、本当の意味で信用できるのは自分だけなのである。


象徴として黄色が多用されるのも面白い。黄色には“自己”を示す意味があり今作においてなんらかの自己性を示すものにはどこかで黄色が使われている。また、黄色は注意を引く色であることから、「見る/見られる」の構造を強化する効果もあるから全くもって隙がない。


ということで人間が持つ自分勝手さをまざまざと見せつける今作はまさに静かな地獄と呼ぶにふさわしい作品であった。


では、『LOVE LIFE』というタイトルは監督の意地悪や皮肉なのか。


深田監督はこれまで徹底して【個】を描いてきた。まず個があって、その後に家族、友人、恋人などの関係性がついてくる。どこまでいっても人は自分以外の気持ちはわからなく、そういった意味で全ての人は孤独なのだ。


しかしそれは決して人間関係の否定ではない。いつでも監督が描く物語の先が示すものは希望。


どこまでいっても人は【個】である以上、僕たちは想像しどこかで自分や他者を騙して生きていくしかない。しかしそれが人間なのである。


今作で印象的に使われている黄色。黄色には“自己”を示す意味がある。しかしまた“希望”という意味を持つ色でもある。


孤独であることを認め抱えることが出来たとき、人は初めて他者と向き合うことができるようになる。最後にでてくる『LOVE LIFE』のタイトル。それが示すのは紛うことなく人生を愛すという希望だろう。


誰の日常にも潜む静かな地獄の積み重ねで何もかもを信じられなくさせておいて、最後の最後には人生に対して希望を感じている。これぞ映画のマジックである。