【感想】映画『妖怪大戦争 ガーディアンズ』子ども向けと子ども騙しは同じじゃない!

映画『妖怪大戦争 ガーディアンズ』の感想です。

神木隆之介主演で2005年に映画化された時と同じ三池崇史監督がメガホンをとった作品です。ただ、同じ監督ではありますが、セルフリメイク作品なので2005年版とのつながりはありません。


前半ネタバレなし、後半ネタバレありです。
ネタバレ感想に行く前に忠告していますので、見逃さないように気をつけてね。



目次



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映画『妖怪大戦争 ガーディアンズ』公式サイト


監督:三池崇史
脚本:渡辺雄介
主題歌:「ええじゃないか」いきものがかり
音楽:遠藤浩二
撮影:山本英夫
出演:寺田心 杉咲花 猪股怜生 安藤サクラ 大倉孝二 三浦貴大 大島優子 赤楚衛二 SUMIRE 北村一輝  松嶋菜々子 岡村隆史 遠藤憲一 石橋蓮司  柄本明 大森南朋  大沢たかお





令和のちびっ子たちのマスターピースに!と思ったが......


結論から言うと、主人公の渡辺兄が妖怪界に迷い込むシーンは素晴らしかったですが、それ以降はダメダメでしたね。


妖怪たちが初見えするシーンは本当に良かったんですよ!子どもたちの心に残るような怖さがあって、でも寺田心のコミカルな演技が怖くなりすぎないバランスを作りあげていて。


これは子どもたちがしばらく忘れられない、そして十数年後にまた思いだすマスターピース的映画になるかも!と期待しました。


でも、いざ冒険が始まってからはダメダメでしたね......


色々なところの詰めが甘いというか、子ども向けだから別にいいだろみたいなのが透けて見えるんですよ。子ども向けと子ども騙しは違うと思うんですけど、僕だけですかね。


どういうことかというと、ドラマ部分がかなりおざなりなんですよ。詳しいことはネタバレあり部分で話しますけど、例えば主人公の感情がAからBへ移り変わるとするじゃないですか。楽から哀でも、哀から怒でもなんでもいいんですけど。


この時に大事なのって、感情そのものじゃなくて、なぜ感情の変化が起こったのかという ❝間❞ の部分じゃないですか。


いつ、どこで、なにがあって感情の変化につながったのか。


それがあって初めて喜怒哀楽に意味が生まれるんじゃないですかね。そしてその ❝間❞がドラマだと思うんですけどどうですか?


単にこの人は怒っています、泣いています、喜んでいますっていうのを見せられても「はあ、そうですか」ってなるだけでメッセージは生まれないし、いくら感動的な展開を作っても受け手に響かないと思うんですよね。その対象が子どもであっても。


ということでちょっと子どものこと侮りすぎじゃないかなと思ったんですけど、詳しくはネタバレありで話していきますね。


この先はネタバレありで良かったところと悪かったところをより詳しく書いていきますので、まだ観ていないよって人はここでブラウザバックしていただければと思います。観賞後にもう一度読みに来てくれると嬉しいです。この先も読んでいただける方、ありがとうございます。是非とも最後までよろしくお願いいたします。

(C)2021「妖怪大戦争」ガーディアンズ





相互に機能していない物語性(ネタバレあり)


今作の一番駄目なのは、各ストーリーが相互に関連していないことです。


今作には複数のストーリーがあります。まずメインの妖怪獣を止めるというストーリーがあり、さらにそこに各キャラの物語が付随するといった形ですね。


例えば、弱虫だった主人公が成長していくという物語、主人公と弟の兄弟愛の物語。また、人間と共生したい妖怪と、人間を滅ぼしたい妖怪たちの物語。


他にも、妖狐と渡辺の秘密、天邪鬼の孤独の物語。主人公に助けられた茨木童子は、人間を恨む鬼一族とどう折り合いをつけていくのか。


これだけでも6つもストーリーラインがあるんですよ。さらに「あの方」って?とか、神木隆之介演じる先生のフォッサマグナに対する異常な熱量とか、世界観全体における謎とか伏線もあるわけです。


ただ、別にそれ自体は問題ではなくて、上手く一つのラインに収束させることができればいいんですよ。今作の場合なら、主人公の成長という大きな軸の下に、妖怪獣の進行というメインストーリーが展開していくわけですから、そこに他の各サブストーリーも絡ませていけばいいわけです。


そうすることで、主人公の成長がより説得力のあるものになるし、『妖怪大戦争』の世界に奥行きが生まれるわけじゃないですか。


だけど、実はこんな過去がありました、実はこんな関係性がありました、主人公に助けられたから協力します、みたいな外枠ばかりで、キャラの”心”を映す中身がないんですよね。


妖狐が渡辺綱に命を助けられていた、だから彼の血を引く主人公を助けていた。というのはいいけれど、じゃあ妖狐自身は世界がどうあってほしいと思っているのか。なぜ命をかけてまで主人公を助けたのか。そこには単に渡辺綱の子孫だからという理由以外の感情の変化があったわけで、そこがわかって初めて妖狐というキャラに深みが出るし、彼女の最期に涙するわけです。

(C)2021「妖怪大戦争」ガーディアンズ


なのに、主人公を命を張って助けました。なんと実は渡辺綱に命を助けられた過去があり、そこから渡辺綱のことをずっと思い慕っていたのでした。


それだけ。なんの奥行きもないし、特に主人公に思いを託したりしたわけでもないから、ただ死んだだけ。主人公の成長には関与していない。


それから、茨木童子が主人公に助けられましたっていうシチュエーションは、それこそ渡辺綱に命を助けられた妖狐の状況と被るわけじゃないですか。人間を恨んでいた、でもその恨んでいた相手から命を救ってもらったことで自分が今まで信じていたものが分からなくなった。じゃあ自らの意思でどう考え、どう行動するのか?


例えば茨木童子が助けられた後にどういう思いを抱いて、どういう意思決定をして主人公の味方になるのか。ここをもっと丁寧に深く描くことで、妖狐が渡辺綱に助けられた後にどうやって生きてきたのかも見えてくるわけですよ。

(C)2021「妖怪大戦争」ガーディアンズ


そして、渡辺の血の真の強さとはいったい何なのか。なぜ兄が”破風なき家の子”に選ばれたのか。伝説の妖怪ハンターと呼ばれた渡辺綱はどのような人物だったのか。


こうやって繋がっていくわけです。


天邪鬼の物語にしてもそうですよね。天邪鬼はなぜ嘘をつくようになってしまったのか、主人公と出会ってどんな感情の変化が生まれたのか。こういった”間”をもっと丁寧に描いていれば、最終決戦で主人公が選んだ決断がより意味を持ってくるし、主人公の成長に厚みがでて説得力が増すと思います。


あとは兄弟の物語にしても、お兄ちゃんは弟が大好きで、弟もお兄ちゃんが大好きでした。めでたしめでたし、とかやられても馬鹿じゃないの?って感じです。


なんで主人公は弟に素直になれないのか。ここを冒頭でもっとわかるように描かないと、最後に兄弟が共闘して仲良くなったってなんにも感動しませんよ。


思春期のお兄ちゃんってこうだよねーじゃダメなんですよ。子ども向けならなおさら。今作は子どもの目線で作られていないんですよ。


そもそもお父さんの死がなんにも機能していない。最後に渡辺綱と同じ顔だったというギミックのためにしか存在していない。


お父さんの残した言葉が呪いになっているとか、それがクライマックスでは反転して主人公を覚醒させるとかそういうのもないでしょ。せいぜい匂わせ程度。


しかもここって”名前”の設定に直接かかってくるところじゃないですか。妖怪は”名前”によって力を失うってどういうこと?っていうのが”兄”という名前に囚われている主人公から見えてくるわけでしょ。


また、”兄”という名前に主人公が向き合い力とすることで、”名前”が力を弱めるという設定が、妖怪と人間の共生という要素に関わってきますよね。人間は妖怪の生活を脅かす存在なんだという、恨みや畏怖の念が呪いとなって力を弱めているということです。


妖狐は主人公の優しさを渡辺綱に重ね合わせて、主人公を信じると決めたことで物凄い力を発揮しましたよね?


”名前”を受け入れると力を失うのは、恐れている対象から貰ったものだからなんですよ。だから捉え方次第で、”名前”は呪いにも力にもなるんです。


要するに人間が妖怪を恐れるように、妖怪もまた人間を恐れているということなんですよ。


世界観に奥行きがでてきませんか?


でね、それでですよ、じゃあ、例えば人間を恨んでいた茨木童子が主人公を信じると決め、名前を受け入れることですごい力を手に入れる。とかもできるわけですよ。これなら茨木童子や天邪鬼の物語にも意味が生まれるじゃないですか。しかも、ぬらりひょんたちの人間と共生するか滅ぼすべきかという話にも一つの答えが生まれるし、そこからの大魔神覚醒で妖怪大集合。


『妖怪大戦争』のタイトル回収。


めちゃめちゃ熱くないですか?


他にも、兄弟の物語についても、例えば冒頭でお父さんから「お兄ちゃんは弟を守ってやるんだぞ」という言葉をかけられている場面だとか、お父さんがある歌をいつも口ずさんでいたとかみたいな描写をちょっとでも入れておけば、お父さんという頼れる存在が死んだことで長男という責任が呪いになって、弟にも冷たく接してしまうとかが子どもでもわかりますよね。


また、弟がなにも恐れずに真っすぐに進めるのは、お兄ちゃんという頼れる存在がいるからっていう説得力が生まれると思うんですよ。


で、そういうことがあったうえで、戦いは解決じゃないという答えからの東儀秀樹さんですよ!最後に勝つのは渡辺の血が持つ妖怪ハンターとしての力ではなく、お父さんが口ずさんでいた歌。それが神を動かす。これなら全然唐突じゃないと思うんですけどね。

(C)2021「妖怪大戦争」ガーディアンズ


まあでも、映画を観ている限り、名前で力を失う設定って、都市伝説などで名前が広がりコンテンツ化されることで恐怖されなくなる的なことでしかないような気がしますけど。





最後に


このように、意味づけできることをしないし、とりあえずこういうことをすれば子どもは喜ぶんでしょ?みたいな描写が多くて、全部唐突に見えるし、メッセージ性も全て失われていたと思います。上辺の感動はあるかもしれないけど、子どもたちが十数年後にも思い出す映画にはなっていないんじゃないかな。


他にも、茨木童子が助けられた時に他の鬼たちが一切いないとか、クライマックスのバトルの舞台がどうみても人間界なのに、ただの一人も人間がいないとかもめちゃくちゃ気になりましたね。


あとは悪い意味で死が軽すぎる。


子ども向けだからこそ、妥協しちゃいけないことってあると思うんですけどね。子ども向けと子ども騙しって全然違うと思いますよ。


まあこの辺は僕が見逃している可能性もあるし、いやあそこはこういう意味なんだっていうのもあるかもしれないのでそういうのがあったら指摘してください。


あー!あと!神木隆之介の扱い方!2005年版で主人公を演じた神木隆之介が実は加藤でしたっていうね。裏切りってそういうことじゃないと思いますよ!!


大魔神も活躍はしていたけどうーんって感じだったしねー。


妖怪のビジュアルと、妖怪初登場シーンは本当に良かったんだけどね。後半に行くにつれてどんどんダメになっていった印象かな。


そんなところです!異論は認めます!では。