【感想】映画『窮鼠はチーズの夢を見る』綺麗な言葉で都合よく美化するのはもうやめましょうよ......


9月11日(金)公開/映画『窮鼠はチーズの夢を見る』90秒予告

『窮鼠はチーズの夢を見る』
監督:行定勲
脚本:堀泉杏
音楽:半野喜弘
原作:水城せとな「窮鼠はチーズの夢を見る」「俎板の鯉は二度跳ねる」(小学館「フラワーコミックスα」刊)
出演:大倉忠義、成田凌、吉田志織、さとうほなみ、咲妃みゆ、小原徳子

https://www.phantom-film.com/kyuso/www.phantom-film.com

※ネタバレしてます
※それからけっこう批判的な感想ですので嫌な方はブラウザバックしていただければと思います。




LGBTQが背負わせられるニューシネマの業

まずはじめに、良い映画だなとは思います。音楽や美術の使い方、“食事”というモチーフ、『オルフェ』の引用による未来への暗示。素晴らしい構成だと思いました。


それから一切妥協しない濡れ場シーンや、同性愛者の辛い現実もリアルに描かれていると思います。


でもさ、でもさ、同性愛者に対するこの手の描き方はもうよくないですか......?


なんか2020年にiPhone4を見せられながら最新テクノロジーについて語られているような気分でした。


僕はヘテロで、同性愛者(とカムアウトしている)の知り合いはほぼいないから実際どうなのかはわからないです。


そんな無責任な立場で言うのも申し訳ないんですけど、それでも言いたい。


邦画、LGBTQの人たち傷つきすぎじゃないですか?


いや、現実問題、未だにLGBTQに理解がない人はたくさんいますし、堂々と生きられる世の中ではないと思いますよ。


でも、今のLGBTQ映画って当事者たちのための映画にはなっていないじゃないですか。これを観て自分のこれからの人生に希望を持てるの?って話です。


もちろんバッドエンド、ビターエンドの物語もそりゃあるでしょう。必ずしも上手くいくわけじゃないのが人生だから。けどそれはハッピーエンドという希望を知っているから受け入れられるものじゃないですか。


実際に異性恋愛の映画にはハッピーエンド展開が数多存在していて、僕たちはそれをキャーキャー言いながら享受しているわけですよね。


センチメンタルに浸りたいなと思えばビターな作品を、幸せを感じたいと思えばハッピーな作品を観ればいい。


僕たちにはそういう選択肢が当たり前にあるわけです。でもLGBTQ映画にはそれが許されない。なんでマイノリティだけニュー・シネマの業を背負わせられないといけないのでしょう。


映画は観る人に夢や希望、憩いをもたらす物でもあると思います。


あなたも現実で辛いことがあったら映画に逃避行することはありませんか?クソ野郎をぶっ飛ばす映画を観てスカッとしたり、胸キュン恋愛映画を観て癒やされたり。


現実社会における問題リアルに描いて批判する、それも大事です。僕たちのようなマジョリティに位置する人たちにとっては、それを観て自分が行ってきた無自覚の差別に気づかされて、価値観のアップデートを促されるので良いかもしれません。


ただ同時に当事者にとって希望や憩いの瞬間でもあるべきです。たとえそれがほんのひとときの間であったとしても。


現実が辛くて映画の世界に逃げ込んだのにそこにも現実しかなかったらどうですか?


救いを求めてスクリーンの扉を開いたら絶望が待っていたとしたらどうですか?


いつになったら彼らにハッピーエンドは許されるのですか?




LGBTQ、BL映画じゃないって言うけどさ......

行定監督のインタビュー記事をいくつか読むと、こんなことを言っていました。

これはLGBTQの映画ではない。そういうジャンル化したいのは分かるけど、そういうのであまり観て欲しくない。最初から自分自身そう思ってないんですよ。

大倉・成田主演作、行定監督「背徳感を表現するのは難しい」 » Lmaga.jp


男と女のラブストーリーであれば、美しく終わらせる選択でも成立はするけれど、男性同士の場合はそうはいかないなと。男女の恋愛なら曖昧なままですむところが、男性同士は曖昧ではいられない。真剣になればなるほど非常に覚悟がいるなと思ったんです。

https://news.livedoor.com/article/detail/18364134/


これは同性愛の映画じゃない、人と人との愛の話だってすごく聞こえは良いですけど、それってどうなんですか?


なんで同性愛の映画だって言ったらいけないの?異性愛の映画は異性愛の映画なのに。


実際劇中では街を歩いていたらすれ違う女性にひそひそ何かを言われたり、マンションの屋上でじゃれているところを懐疑的な目で見られているという場面があったり、「男のくせに!」みたいなことを言われる場面があったり......


そういう現実社会でLGBTQの人たちが遭っている地獄を丁寧に描いておいてこれはLGBTQ映画じゃないってすごく不義理じゃないですか?


それに、これが大倉忠義さんと吉田詩織さんの恋愛映画だったらあんなにSEX描写入れますか?


入れないでしょ。同性の恋愛だから入れたんでしょ。大倉忠義さんと成田凌さんだから入れたんでしょ。


じゃあBL映画の需要に完全に乗っかってるじゃないですか。


そもそも性行為のシーンだってジャニーズと人気俳優の美男子ふたりがSEXしてたらおもしろいっしょ!っていう感じさえします。


現に感想を漁ってみたらエッチだったとかそんな感想ばっかりだよ。少なからずそこを狙ってた部分もあるんでしょ?じゃあなんできれいな言葉で誤魔化すのさ。


きれいな言葉で着飾っているけど、無自覚にマイノリティに対して上から語っているような印象を受けるんですよね。


お前らは“普通じゃないけど”いてもいいんだよ的な。


いてもいいじゃないんだよ、いるんだよ。マジョリティにいちいち許可取らなくたっているの。


そういうのが節々から感じられるんですよ。


例えば大伴がゲイバーに行くシーン。あそこにでてくるゲイってまさにステレオタイプなゲイ像じゃありませんでした?


そこへいって自分は男が好きなわけじゃなかった。今ヶ瀬が好きだったんだと確認する場面をわざわざオリジナル展開で入れてるんですよ。


はたまた大伴と今ヶ瀬が始めてSEXをするシーンの後ろで流れている『オルフェ』という映画。


あの映画を知っている人なら、『窮鼠〜』のラストのその後にふたりがどうなっていくのか連想できる良いシーンです。


でもそれ、この映画の観客層の何人が理解できますか?『オルフェ』っていう名前がでればまだしも何の映画か明かされることもなく流れているだけです。


それを踏まえて思い出してください。まさに行為が行われるっていう寸前、後ろで流れていた映画の字幕を。


「これから行われることは世界では到底理解され難いことです」


どうですか?


非常に露悪的ではないですか?


他にも大伴と今ヶ瀬が屋上で乳首あてゲームをして戯れるシーンでわざわざそれを見るおばさんのカットを入れる意味も考えてみて下さい。


ここまでやっておいて、これはLGBTQ映画じゃない、人と人との愛の映画だって言ってしまうのは残酷すぎませんか?


いやわかりますよ。男女の恋愛においても、最終的には女だから男だからじゃなくて“この人”だから惹かれたっていうのはその通りだし、ましてや今作の主人公の大伴はヘテロなわけだからますますその意味合いは強くなります。


でもこういうやり方をされると同性が好きとかそういう気持ち自体はおかしなことなの?ってことになってしまうと思いますよ。


作り手の意志はそうじゃなかったとしても。




現実を都合よく美化するな

勢いに任せてブワーっと書きましたけど、一番問題だと思うことがまだあるんですよ。


それはね、現実を都合の良いように美化していないか?っていう問題です。


今作の感想、レビューで最も多い「美しい」という文字。


外では好奇な視線に晒される二人が唯一何も気にすることなく自分たちをさらけ出せる場所として描かれる大伴の部屋。


そこで繰り広げられる気持ちと身体のぶつけ合い。


これ本当に美しいですか?


いや、ビジュアル的には美しいですよ。冷たい部屋で枯れた二人が世界など気にせず重なり合う姿は美しいでしょうよ。大倉忠義と成田凌だし。


でも美しい......尊い......素晴らしい......で終わらせていいことじゃないですよね。


だってみんなそれで苦悩しているんですよ?


自分たちが住む部屋しか安住の地はないって美化していいことですか?


男性のあなた、彼女とデート中に手を繋ぐとき周りの視線を過度に気にしますか?
女性のあなた、彼氏にボディタッチしただけで周りの人から好奇の目で見られますか?


自分に置き換えて考えたときにそれでも美しいなんて言えますか。


誰にどう思われようと自分たちが愛し合っていればそれでいいなんてのは誰にどうも思われない恋愛ができるからです。


いい加減、上から目線できれいな言葉を使って現実を都合のいいように美化するのは辞めませんか。


LGBTQもBLもファンタジーじゃないんだから。




終わりに

冒頭にも述べたように、音楽や美術、モチーフの使い方など構成力が凄いと思いますし、主演二人の演技も素晴らしいです。


でも根本にあるLGBTQへの認識は褒めるべきものではないと思います。


原作漫画が刊行された時とは時代も進んでいるのだから、今映画化するならそこも今に合わせるべきでしょう。


今作と同じく今年公開された今泉力哉監督の『his』や城定秀夫監督の『性の劇薬』には現実の厳しさから目を背けずも希望や憩いがありました。


だから時代は一歩先へ進むと思ったんです。


監督が言っていることもわかります。目指す先はヘテロだとかゲイだとか関係なく全てが他意なく恋愛映画で括られることでしょう。 いちいちLGBTQ映画だとか括らなくても良い時代。


でもこの映画は到底そこには到達していない。良いように言っているけどLGBTQを商品化しているだけです。


僕自身勉強不足で偉そうなことは言えないけどこれが率直な感想です。