【感想】『きみの瞳が問いかけている』罪を犯した者は幸せになってもいいのか。

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の實一つ


故郷の岸を離れて
汝はそも波に幾月


舊の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる


われもまた渚を枕
孤身の浮寢の旅ぞ


實をとりて胸にあつれば
新なり流離の憂


海の日の沈むを見れば
激り落つ異郷の涙


思ひやる八重の汐々
いづれの日にか國に歸らむ


島崎藤村 「椰子の実」


こんにちは。横浜流星かっこいいなー、同じ名前なのにこの格差はなんでしょう。世の中は不平等ですね。


このブログでは映画の感想や考察を書いたり、あなたをクソ映画の沼に引きずり込もうとしたりしています。


今回は『きみの瞳が問いかけている』の感想です。


前半ネタバレなし、後半ありです。


ネタバレに入る前にもう一度忠告しますので見逃さないでね。


ちなみに下記動画を再生しながら読むとよりエモい感じになります。気遣いがすごい!


Your eyes tell





『きみの瞳が問いかけている』


監督:三木孝浩
脚本:登米裕一
音楽:mio-sotido
撮影:小宮山充
照明:加藤あやこ
美術:花谷秀文
編集:柳沢竜也
出演:吉高由里子、横浜流星、やべきょうすけ、町田啓太、風吹ジュン、田山涼成、奥野瑛太、森矢カンナ、野間口徹
原案:映画『ただ君だけ』(原題:“Always”)
主題歌:BTS「Your eyes tell」
配給:ギャガ


あらすじ
目は不自由だが明るく愛くるしい明香里(吉高由里子)と、罪を犯しキックボクサーとしての未来を絶たれた塁(横浜流星)。小さな勘違いから出会った2人は惹かれあい、ささやかながらも掛け替えのない幸せを手にした──かに見えた。
ある日、明香里は、誰にも言わずにいた秘密を塁に明かす。彼女は自らが運転していた車の事故で両親を亡くし、自身も視力を失っていたのだ。以来、ずっと自分を責めてきたという明香里。だが、彼女の告白を聞いた塁は、彼だけが知るあまりに残酷な運命の因果に気付いてしまっていた──。
映画公式サイトより引用

gaga.ne.jp


【公式】『きみの瞳が問いかけている』吉高由里子×横浜流星 恋愛映画史を涙で塗り替える、最高純度のラブストーリー/10/23(金)/本予告





い意味で裏切られた!


今作『きみの瞳が問いかけている』は2011年に韓国で公開された映画『ただ君だけ』を原案にした作品です。ようするにリメイクですね。


また、『ただ君だけ』はチャップリンの『街の灯』という作品を元に作られた映画です。

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ただお恥ずかしいことに僕は『ただ君だけ』は観たことがなく、どんな作品なのかも知らなかったので全くのフラットな状態で今作を鑑賞しました。(鑑賞後にはちゃんとリメイク元も観ましたよ)


そしたら良い意味で裏切られましたね。予習していかなくてむしろ良かったです。


正直、観る前は「はいはい、またいつもの障害や病気を抱える女性が不幸になることによって、腐っていた健常者の男性が頑張って再起して感動させるやつね」と思っていました。


まあ感動させようとしている面もないとはいえないですが、僕が思っていたような人の不幸を美談にして感動させようとする露悪的なものではありませんでした。


僕が邪推していた部分を丁寧につぶしていってくれていましたね。まあでもここは原案の『ただ君だけ』の功績ではあるのかな。


本作鑑賞後に『ただ君だけ』を鑑賞して比較したところ、この三木監督ver.はより心情を丁寧に描いている印象を受けました。詳しくはネタバレあり部分で話しますが、これによって今作の持つ光と闇の対比がより強調されています。


『ただ君だけ』は光の方が少し強い印象でしたので、上手くバランスをとった形になりますね。


また、闇の部分が強くなったことで、「罪を許す」ということがより重くのしかかってきます。


けど、闇の部分が強すぎるとそれはそれで作品がぶれてしまうので、あえて外連味を加えてフィクション感を強めに、光の部分はドキュメンタリーチックにしてリアルな日常感を強める。


そしてその光と闇が合流したときに......っていう構造なわけですけど、このバランスがめちゃめちゃに巧い。


また、『ただ君だけ』ではさらっとでてきた要素を膨らまし、さらに島崎藤村の「椰子の実」を付け加えることでラストの解釈の余地がグッと広がるものになっています。


だから、三木監督お見事!としか言いようがない。大胆なアレンジはしなくても、今に合わせてしっかりアップデートができるということを示す素晴らしい作品なのではないでしょうか。


あと、アクションシーンすごいです。


横浜流星さんやばいっす。ハリウッドのアクション映画出てくれないかな。『ジョン・ウィック』とかにでてほしい。


それくらい超ワクワクドキドキしました。



あ、あとやべきょうすけさんがすごく良かった。個人的この人がいるだけで映画が面白くなる俳優の一人です。


ということでここから先はネタバレありでより詳しく話していきたいと思います


まだ観ていないよという方、ネタバレは嫌だという方はここでブラウザバックしていただければと思います。


この先も読んでくれる方はよろしくお願いいたします。嬉しいです。是非あなたの感想も聞かせてください。





寧に積み重ねていく関係性の構築


さてここからは前項で語ったことをネタバレ交えながら説明していきたいと思います。


まず今作の良いところとして、塁と明香里の関係性の構築をすごく丁寧に描いている点が挙げられます。


わかりやすいところでいえば、二人の出会いの場面から一緒にドラマを見る下りを何度も何度も繰り返しますよね。


やってることは同じことなんだけど、ちょっとずつ心情は変化しているわけですよね。


例えば塁が足の匂いを気にして新しい靴を買うとか、白杖の音にそわそわするようになるとか。


そこから付き合うことになる決定的なきっかけがあって......っていうのもそれまでの積み重ねがあるからすごく気持ちいいんですよね。


お互いに好きでも嫌いでもない2人が少しずつ気になってきて好きになるっていう過程をここまで丁寧に描いた作品って意外と少ないんじゃないかなーと思います。


一目惚れバチーン!!パターンか、あんな嫌なやつなのにこの気持ちはなに!?パターンはよく見ますけど。


またはあっても、必要最低限の描写だけでさっと関係性の構築は終わらせて、その後の受難にウェイトを大きく置いていたりとか。


だから僕はけっこう新鮮な感じで観れました。


で、この丁寧な積み重ねというのが、視力を失った女性をヒロインに据えること、後のフィクショナルな要素などに説得力を与えるわけです。





した罪は許されるのか


丁寧に恋愛の模様を描いているという話をしてきましたが、今作を純愛ラブストーリーと思って観ていると急に作品のトーンが変わってきます。


その転換期となるのがセクハラ上司のシーンです。


あそこで塁の闇の面が出てくるわけですが、ここで今までふわっと感じていた今作のテーマが明確になります。


それは、一度罪を犯した人間は幸せになっても良いのかということですね。


塁は過去に半グレ組織と関わっており、多くの人を傷つけ、また間接的とはいえ人を殺しています。


それがわかると、今まで見てきた幸せな日常がまた違った見え方をしてきます。


このまま幸せになって終わるのはおかしいんじゃないか?という疑念が生まれてくるわけですね。さらにヒロインが視覚障害者であることから、またそういう人たちをだしにして赦されようとしてるんじゃねーだろうなという気持ちも生まれてきます。


でも、前述したように、恋愛が始まるまでの過程を丁寧に描いていることで塁と明香里の物語は観客にとってすごくリアルなものとなっており、ダメなものはダメ!と突き放すことも簡単にはできなくなっているのです。


こうやって登場人物の罪を観客の罪としてリンクさせているのですが、この映画の偉いところはその上で犯した罪は消えないものとして扱っているところなんですよね。


塁がいくら反省しようが、彼が傷つけてきた人は元には戻らないし罪がなかったことにも当然なりません。


でも映画では塁と明香里が幸せに向かっていくわけですよね(これも単純にハッピーエンドとは言えないようになっているのですが)。


これはどういうことなのかというと、罪を背負って前へ進めということです。


罪は一生消えないけれど、反省しているのならその罪を背負って前へ進め。


手放しの幸せではないかもしれないけれど、それが罪を犯すということで、許す=なかったことにするわけではないのです。


ちゃんとそこを示した上で希望を見せてくれるから良いんですよ。


ちなみにセクハラ上司のシーンですけど、あそこはすごく良かったです。


セクハラ上司のあいつがただボコボコにされるためだけの役割だったのが最高でしたねー。


半グレたちよりもクソなやつとして描かれてましたからねー。しかも野間口徹さんの演技がめっちゃリアルじゃなかったですか? いいですよねー。観客の中にいるそういうことしている人たちに対しても、お前らみたいな奴らにはこの二人の人生についてあーだこーだ言わせねーからなっていう意思を感じます。


まあここは原案の『ただ君だけ』と同じなのでそっちがすごいってことではあるんですけど。でも変な改変とかせずになんならちょっと残虐性も上がってましたよね。


あと、ボコボコにした後に塁が明香里に俺が守ってやる的なこと言うじゃないですか。あの時の明香里のセリフも障害者を可哀想な存在として扱うなというメッセージがちゃんと込められていて良かったです。


障害者だったり女性だったりを娯楽としてただ消費するだけにならないような配慮をしようという意識が見えるのは素晴らしいと思います。





構と現実


さて、ここまで二つの要素について話しましたが、今作を観ていて違和感を感じた人も少なくないと思います。


かくいう僕もその一人です。


というのも、この映画唐突にフィクション感が強まりませんか?


半グレまわりの話になるとすごく外連味が増しますよね。ラスボスのとか笑っちゃうくらいにラスボス。


僕はあのラスボス感とかめちゃめちゃに好きだし胸アツだったんですけど、まあそれとこれとは別の話なわけで。


『ただ君だけ』よりもはるかにフィクション感強めてます。


じゃあなんでこうなったって話ですよね。


実はこのフィクション感は失敗でもなんでもなくて、しっかり考え抜かれた演出なんですよね。あえてフィクション感と現実感の差を強調しているのだと思います。


というのもこれがあるとないとではラストの解釈の幅が全然違うんです。


ラスト、塁は病院で明香里と偶然再会を果たすものの自分の正体を明かすことはせずに姿を消します。その後塁の存在に気づいた明香里は二人の思い出の場所である浜辺で塁を見つけ、二人は抱きしめ合い「ただいま」と言って終わるというエンドですよね。


普通に見ればこの展開って感動的な再会からのハッピーエンドだと思うんですけど、実は再会していないんじゃないかという見方もできるわけです。


ここにさっき述べたフィクション感の強調というのが絡んでくるわけです。


フィクションっていうのはつまり虚構ですね。そこに存在している現実ではなくて、人が作りだした嘘ということになります。注意して欲しいのはここでいう“虚構”というのは悪い言葉ではないということです。


言ってしまえば全ての創作物は虚構なわけで。


で、僕が何を言いたいかというと、あのラストは塁、もしくは明香里が作り出した虚構なのではないかという可能性です。


妄想や願望と言い換えるとわかりやすいかもしれません。


あの時こうなっていたら、もしあそこで別の選択肢を取っていたら......あるいはいつかこうなることができるかもしれない。そういう前を向いて生きるための願望が込められたビターエンドな結末なのかもしれないのです。


その前までにフィクション感の強い展開があったからこそ、これは現実か?それとも虚構か?という見方が可能になるわけですね。





子の実とロミジュリ、2つのモチーフ


さらにそこを補強するのが、劇中のモチーフとして登場する島崎藤村の「椰子の実」やロミオとジュリエットなどの要素です。


スーパーざっくり説明しますけど、「椰子の実」はどこかの遠い島から海岸に流れ着いた椰子の実を、旅をしている自分の心情と重ね合わせ、故郷に思いを馳せるという詩です。


超絶ざっくりなので気になる人は調べてください。


『ロミオとジュリエット』は恋愛悲劇として有名な戯曲ですね。


この二つが劇中大事なアイテムとして何度も出てきます。


『ロミオとジュリエット』は原案の『ただ君だけ』でも出てくるモチーフであちらはロミオとジュリエットをなぞりながらも、別の結末を描くという構成でした。


今作『きみの瞳が問いかけている』も基本的にそこは変わらないのですが、さらに今作オリジナル要素として「椰子の実」をモチーフとして登場させているわけですね。


これに沿って考えてみると、やはりあのラストは塁か明香里の思いを映像化したものとして考えることができるのではないでしょうか。


そしてこのビターエンドの可能性は、罪を背負って前に進むというテーマをより印象づける効果もあります。


ただし、これはこのビターエンド解釈が正しいということではなく、その可能性もあるという程度の認識でよいのかなとは思います。いや、あれは現実でハッピーエンドなんだという解釈ももちろんできるわけです。


このラストの狙いは観客にどっちだろうと考えさせることでしょう。だからこれ!という答えはないんだと思います。


また、ハッピーエンドとしての解釈の余地しかない場合よりも、ビターエンドの可能性も頭にありながらそれでもハッピーエンドだと思う場合の方が、観客にとってハッピーエンドである意味が大きなものにはならないでしょうか。


ただいずれにせよ、僕的にはどちらの解釈をしても、前向きな終わりであることは変わらないのかなと思います。


二人が生きている以上、『ロミオとジュリエット』と同じ結末を辿っているわけではないですし、「椰子の実」の詩のその先を考えるならば故郷に戻り大切な人たちと再び過ごす希望は十分あるからです。


そしてこれが“許し”の物語だとするならば今作には様々な人たちの人生に光が差す作品なのではないでしょうか。





後に


以上、感想でした。あなたは今作を観てどう思ったでしょうか。


『ただ君だけ』の存在も知らなかったので、公開前は「また障害とか病気を持つ人が不幸になって健常者が頑張る映画かー24時間テレビかよ」って思ってましたけど全くそんな映画じゃなかった。


泣かせにくる演出はあるんですけど、ただのお涙頂戴な作品にはなっていないです。


一度罪を犯した者は幸せになって良いのか。その問いに決して綺麗事では片付けず、しかし光が差す回答に涙が出ました。


原案作品に忠実にした上で、良さをさらに引き出そうとする再構成力がすごく良かったです。2011年の作品を今公開するにあたってのブラッシュアップもできていたと思います。


あとはシンプルに横浜流星さんのアクションがめちゃめちゃ良いのでそれだけでも見る価値ありなんじゃないかと思います。


うん、良い映画でした。


ではまた。