【感想】映画『スキャンダル』男性こそ観て議論すべき作品。

こんにちは、映画『スキャンダル』の感想です。
前半ネタバレなし、後半ネタバレありです。

FOXニュースのCEOであるロジャー・エイルズがセクハラで告発されたという、2016年に起きた実際の出来事を元にした今作。


日本ではMee too運動が広まるきっかけとなったハーヴェイ・ワインスタインによるセクハラ事件の方が有名でこっちは意外と知らなかった人も多いかと思います。


そのハーヴェイ・ワインスタインのセクハラが告発された少し前に起こったのがこの事件であり、アメリカではおそらく誰もが知っている衝撃的な事件でした。


また約4年前の出来事という、人々の記憶に新しい事件であるという点で今映画化することに意義のある作品になっています


結論からいうと手放しで絶賛できる程の作品ではないものの、語るべきことが多くたくさんの人に観てほしい映画でした。そしてこの話は海の向こうの遠い国の話ではないということをまざまざと思い知らされました。


今回はその辺を説明していけたらと思います。 お付き合いしてくれるかたは是非よろしくお願いいたします。

以下目次


作品紹介

あらすじ

2016年、アメリカニュース放送局で視聴率NO.1を誇る「FOXニュース」に激震が走った! クビを言い渡されたベテランキャスターのグレッチェン・カールソンが、TV業界の帝王と崇められるCEOのロジャー・エイルズを告発したのだ。騒然とする局内。看板番組を背負う売れっ子キャスターのメーガン・ケリーは、自身の成功までの過程を振り返り心中穏やかではなくなっていた。一方、メインキャスターの座を狙う貪欲な若手のケイラは、ロジャーに直談判するための機会を得て――。

(映画『スキャンダル』公式サイトより引用)


公式『スキャンダル』2.21公開/本予告

スタッフ&キャスト

監督は『トランボハリウッドに最も嫌われた男』などのジェイ・ローチ。脚本は『マネー・ショート 華麗なる大逆転』が有名なチャールズ・ランドルフ


今作『スキャンダル』は実話を元にした社会派映画であるという点、それをシリアスに描きつつエンタメに落とし込むといった点などから『マネー・ショート 華麗なる大逆転』と近い作品になっていますね。


メーガン・ケリーを演じたのは『マッドマックス 怒りのデスロード』や『アトミック・ブロンド』のシャーリーズ・セロン。今作で彼女はアカデミー賞主演女優賞にノミネートされています。


俳優としてだけでなく製作としても活躍しており、今作でもプロデューサーを努めています。 まさに名実ともに揃った大スターですね。


グレッチェン・カールソンを演じたのはニコール・キッドマン。3度のアカデミー賞主演女優賞ノミネート経験がある彼女ですが、さすがの演技力で女性の客体化に立ち向かうキャスターを見事に演じていました。


新人キャスターのケイラ役にはマーゴット・ロビーが起用。ケイラは架空の人物で、実際のセクハラ被害を人たち何人かを組み合わせた人物だそうです。


マーゴット・ロビーといえば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でシャーリーズ・セロン役を演じたことが記憶に新しいですね。日本ではハーレイ・クイン役を演じたことで広く知られるようになりましたね。3月には『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PRAY』が控えています。


2018年にはアカデミー賞主演女優賞にもノミネートされており、今作でも助演女優賞にノミネートされるなど、ハリウッドの新時代を背負う俳優の一人であることは間違いないと思います。


それぞれの元になった人物については公式サイトで詳しく書いているので是非そちらをご覧ください。

gaga.ne.jp


そしてこの映画の肝といえばメイクアップ。 今作で話題になったのはもはやメーガン・ケリーら本人にしか見えない特殊メイクです。


この特殊メイクのおかげで映画のリアリティは増し、説得力のある作品になっています。


そんなメイクアップを担当したのは『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』で一躍有名になったカズ・ヒロ(辻一弘)


彼ががこの映画に携わったというのは、単に特殊メイクを手掛けたということ以上に大きな意味を持っていると思います。


ネタバレなし感想

シリアスとエンタメの絶妙なバランス


冒頭で述べた通り、この映画の元になった出来事は2016年のことです。


アメリカの人々にとってもまだデリケートな事件なんですね。だからシリアスでドキュメンタリー風味な映画なのかなと思っていたんですが、それが極上のエンタメ作品に仕上がっていて幅広い人たちに受け入れられやすい映画になっていたのかなと思います。でも見せるところは誤魔化さないで見せるというバランス。


例えば、セクハラを受けている人の心の声と実際の会話を交互に見せたり、第4の壁を超えてこちらに語りかけてくるような演出があったり、映画に入り込んで見るというよりも、外から俯瞰的に見ているような感じでした。


からのエレベーターで三人が揃うシーンからはグッと物語に引き込まれ、構成の上手さにただただ感心しました。


結局、シリアス一辺倒で映画にしてしまうと見に来る層が問題に対して関心が強い人だけになってしまう可能性があるのであえて間口を広げた作りにしたのは英断だと思います。




男性にこそ観てほしい


2017年のハーヴェイ・ワインスタイン告発事件を機にMeeToo運動が広まり、今でこそ多少声のあげやすい世の中にはなってきたとは思いますが、事件当時はセクハラを告発するなんてもってのほかの行動でした。


そんなことをしても無駄だ、なにも変わらないという声が大多数だったんですね。


そんななかで声をあげるという行為は相当の勇気が必要なはずです。他に続く人がいなければ、ひとりで騒いでいただけの変な人として認知され、やがて忘れ去られて行くかもしれないし、今後のキャリアが台無しになる可能性だってあります。


自分の将来を考えれば考えれるほど言い出せないのです。


今作は女性の強さを示す映画というよりは、現実の問題に目を向けさせるための映画といったところでしょうか。


だから映画的なカタルシスはなく、面白い!!と絶賛するような感じでもないです。


エンタメ作品ながらも、今まで陰に隠されてきた女性たちの苦悩を淡々と突きつけてくる映画です。


セクハラされたから女性が一丸となって訴えました。セクハラ男は痛い目を見て、会社ではセクハラもなくなりましためでたしめでたし。といった安易で単純な話にはなっていません。


自分の出世を気にしたり、印象が悪くなることを恐れたりなど、被害者の女性たちにも色々なスタンスがあって決して一枚岩ではないといった様子が問題の根深さを感じさせます。


MeeToo運動が広まったとはいえまだまだ男性優位な社会。僕は男性なので正直、女性がどれだけ苦労しているかとかはわからないです。生まれたときから男性としての立場を享受しているので問題に無自覚な部分もあると思います。


ぼくもなにも考えることないままに権力を手にしたらそうなってしまうのかもしれません。


だからこそ女性よりも男性こそが見て議論すべき映画なのではないでしょうか。
男女が一緒に語らなければならない問題なのではないでしょうか。




ネタバレあり感想

女性の客体化とは...?


この記事を書いてる最中、ハーヴェイ・ワインスタインの有罪判決が確定したというニュースが舞い込んできました。まさに声をあげ続けた結果の勝利ですね。無駄だ、おかしいといわれ続けても声をあげていたことが遂に実を結んだのです。


これが大きな一歩であることは違いないでしょうが、また氷山の一角に過ぎないことも確かです。映画でもスッキリする終わり方ではなかったことも社会に強く根付いた現実を示しています。


グレッチェンは劇中、女性の客体化と戦うと言い、実際に行動を起こすわけですが、そもそも女性の客体化とはなんなんでしょう。


これはあくまでも僕が映画から読みとった、僕の考えなので確固たる根拠があるわけではないのですが、「女性を“性的要素が関係ない場で”、“性的要素を用いて評価する”」ことだと思います


つまり、本人が望んでいない場面で、今それ関係なくない?っていうところにまで女性性を求めるのが女性の客体化なのではないでしょうか。


例えば、映画内ではアナウンサーとしての能力よりもスタイルの良さや露出の多さで女性は評価されています。知性と教養があり聡明な人よりも、顔がよく足をだせる人の方が重用され人気もでる。


それを断れば出世の道は閉ざされあまつさえクビになることだってあります。


男性が関係のない場所で性的要素によって評価されるといったことは滅多にありません。あいつは顔が悪いから出世できないとか、デブだから有能だけど仕事を回さないとか僕は聞いたことありません。顔やスタイルが関係ないところではそれが評価基準になることはほぼないと思います。


女性を性的要員として判断する価値基準、及びそういった考えが社会に浸透するような表現が至るところに溢れていることが問題なのではないでしょうか。


別にあの人かわいいなとかスタイルいいなと思う分にはいいと思います。逆にすれ違った男性に対してあの人かっこいいとか思うのも問題ないと思います。


グラビアとかAVだっていいと思いますよ。そういうコンテンツとして売ってるわけですからそこの価値基準に性的な要素を用いることは何ら間違っていないと思います。


それを外に持ち出すなっていう話です。 スポーツ選手をエロさで評価したり、政治家を顔で判断したりするのは評価基準としておかしいよねっていう。


CMの表現方法だったり公共物に描かれる女性キャラクターがたびたび問題になるのもそういうことだと思います。


女性=性的な存在って結びつけるような表現や思考言動がよくないんですよね。


もちろんただ批判したいだけの人とか、自分が気に入らないものを排除したいだけの人もいるとはおもいますけど、なんでもかんでも性的に表現するから問題であってエロを根絶しろとかほとんどの人は言ってないと思うんですよ。


別に僕はフェミニストでもないんで、その界隈の人たちがどういった思想を持ってるのかは知らないんですけど、要するにTPOを考えろってことじゃないんですかね。


そうやって考えると客体化がどれだけ嫌なことか理解できるなとぼくは思いました。人間として見られるか性的なサービス要員として見られるかって天と地の差ですもん。


「見られたって減るもんじゃないんだからって」言う人もいるけれど、プライドや誇りなど、内面を傷つけられる屈辱って男性だってよくわかってるはずですよね。




海の向こうの他人事の話ではない


で、それがアメリカだけの話かというと、そうじゃないですよね。


日本だってたびたびそういう話題がでるわけですし、日本では女性アナウンサーにアナウンサーとしての能力はもはや問われていない節すらありますよね。しかもそれが彼女たちがすき好んでやっているのであって俺たちは彼女たちが望んでるから見てやってるだけだみたいな空気。


『スキャンダル』を観たらそんなこといえないです。日本のテレビ局にだってロジャーエイルズがいるんですよ。いや、テレビ局だけじゃないですね。至るところに小さなロジャーエイルズがいるわけです。



女性がキャリアアップの機会を打診されるが「そのために君ともっと親しくなりたい」と言われる。上司の男性ははっきりとはセクハラ発言をしないが、それは言わなくても分かるよね?ということである。女性は男性のメンツを守り怒りに触れないように、下手にでて自分が悪いようにみせながら丁重に断る。


すると上司の男性は「何言ってるんだよ。そんなつもりじゃないよ!笑 これじゃあ僕がエロおやじみたいじゃないか!笑」と言う。


女性は心のなかでエロおやじだろ!と叫びつつも黙って笑顔で応じる。


次の日女性はクビになる。



こんなワンシーンが劇中にあります。


かなり胸くそなエピソードですが、実際に至るところで存在する出来事です。
クビになるまではいかないかもしれませんが、あいつは勘違い女だと吹聴されるかもしれないし、正当な評価がされないことだってあるでしょう。


なんならそういう雰囲気を出してる女性が悪いと言われたりさえします。もしくはお前みたいなやつにセクハラするわけない自意識過剰のヒステリーだとか。


まあ正直あることないこと言って騒ぐ人もいると思います。嘘なのか本当なのかの判断が難しいのも確かなのでグレーゾーンではあるのかもしれないですけど、それでも声をあげないことがスタンダードになるのはおかしいよなと思います


Twitterなどでも、女性がなにか意見を発するとそれとは無関係な容姿批判や人格否定をする様子が多々見受けられます。


女性を客体化して見ているからこそ、彼女たちが意見を持ったりなど自分の理想と外れた行為をとると全力で批判しに行くのかなと思いました。


告発しても地獄、しなくても地獄ですね。




強い女性こそ餌食になる。

この映画はセクハラを告発することそのものに比重を置いているわけではなく、そこに至るまでの女性たちの心情や周りの人たちの動きに重きを置いています。


セクハラ告発後の各人の動きはリアリティのあるものになっていたと思います。


女性は女性で問題が明るみに出て嬉しい!これで良かった!とはならないんですね。


今作は女性同士の権力闘争の話でもあります。 ライバルを蹴落として自分が上に登りつめてやるという野心を持った女性たちです。


そんな強い女性像を象徴したような人たちさえセクハラに悩み、また言い出せないでいるんですね。


セクハラ被害者=弱い女性ではないんですよ


野心ある女性こそセクハラの憂き目に合う。多くの男性がイメージするセクハラとは違うんじゃないかなと思います。知らんけど。


また、今作の加害者であるロジャー・エイルズって、決して極悪人ではないんですよ。それなりに好かれている人でもあって、メーガンも彼のことが嫌いなわけではないんですね。セクハラ告発後には、ロジャーエイルズを擁護する女性たちも表れるわけです。


それにメーガンたちも清廉潔白な人物なわけではないです。たびたび人種差別的な発言をして問題になったりもしています。


だから複雑なんです。


そういった女性たちに都合が悪いようなことも忖度せずに描ききり、女性がヒーローになる勧善懲悪な物語にしていないところがこの映画の素晴らしい部分です。


その上でセクハラについて 、女性を客体化することについてどう考えるか、そこに意味があるのだと思います。




最後に

いくらでもスッキリきれいに終わる物語にできるのに全く忖度なしで現実を描ききる潔さと勇気に感嘆しました。


MeeToo運動を、セクハラ事件を過去の出来事として風化させないためにも今映画化すべき作品であったことは間違いありません。


この映画は決してフェミニズムの映画ではないと思います。今まで権力の陰に隠れていた問題を浮き彫りにし、人を人としての扱うことを問うたエンタメ作品です。


だからこそ男性が、女性が、ではなく男女一緒に語らなければならない物語だと思うのです


ハーヴェイ・ワインスタインの一件が示すように、現実は今、目まぐるしい勢いで変化していってますよ。