【感想】映画『あの頃。』共感はできなかったけれど、あなたたちを尊いと思った。

こんにちは、こんばんは。


今日は映画『あの頃。』の舞台挨拶中継付き上映に行ってきました。


みんなカチッとした格好の中で今泉監督だけダボッとしただらしない格好でさすがだなあって笑ってたら、実は芹澤さんが一番やっていたとか、TOPCOATはすぐ俳優に歌わせる件とか、大下ヒロトさん米2.5合事件とか、すごく面白かったです。


でね、映画の感想ですけど、先に言っちゃうとおもしろかったですよ。


原作は劔樹人の「あの頃。男子かしまし物語」というコミックで、ハロプロに熱中していた青春の日々を描いた自伝的エッセイです。


それを実写化したのが映画『あの頃。』なわけですけど、ハロプロファンじゃないと楽しめないとかはないです。だって僕が全然ハロプロのこと知らないから。


だから劇中登場する彼らに共感はしないし、自分も仲間に入れてほしいとも思わないけど、でも紛れもなく自分事な物語でした。


最近、「尊い」っていう言葉よく使うじゃないですか。推しが尊いとか。


もちろん推しは尊いんですけど、推しを尊いと思えるあなたも尊いよ。


そんな優しさに溢れた映画でした。


ということで映画『あの頃。』感想です。


前半ネタバレなし、後半ネタバレありでお送りいたします。ネタバレに行く前にもう一度忠告するので見逃さないでね。





『あの頃。』

監督:今泉力哉
脚本:冨永昌敬
原作:劔樹人「あの頃。男子かしまし物語」(イースト・プレス刊)
音楽:長谷川白紙
撮影:岩永洋
出演:松坂桃李、仲野太賀、山中崇、若葉竜也、芹澤興人、コカドケンタロウ
配給:ファントム・フィルム
上映時間:117分


松坂桃李主演 映画『あの頃。』予告編|2月19日(金)公開!!

https://phantom-film.com/anokoro/phantom-film.com





”好き”に出会って色鮮やかになる世界

まず始めに、僕はハロプロについてはよくわかりません。もちろんモーニング娘。も松浦亜弥も知ってるし、有名な曲は何回も聞いたことありますけど、語れって言われたら一秒も語れないです。


小学生の頃、テレビや親の車の中でかかってたなーというくらいの記憶です。


そもそもアイドルにハマるという経験がなくて。


アイドルが身近になったのは中学3年生くらいのときだったかな。学校でAKB48が鬼流行りしたんですよね。


僕の頃は、アイドル好きは気持ち悪いどころか、好きじゃないほうがおかしいくらいの感じでした。


周りの人がみんなAKBの話をしているので、自分もCDを借りたり、ドラマを観たり、友達と一緒に映画も行ったけどそこまででした。


歌は良いなと思ったし、ドラマも面白かったし、メンバーの名前もけっこう覚えたしみんな可愛くて魅力的な人たちだなと思ったけど、のめり込む感覚はわからなかった。適当に知ってるメンバーの名前出してこの人が推しとか言ってたけど実は誰でも良かったんです。


その後も、高校ではももクロ派とAKB派に別れていたり、大学では乃木坂46が流行ったりしてたけどどれも遠くで眺めて楽しんでいるくらいな感じでした。


曲もいっぱい聴いたし、ドラマも映画もバラエティも観たけどハマらなかった。


だから「恋愛研究会。」の人たちに共感はしないです。アイドルにのめり込む感覚がわからないから。


でも紛れもなく自分事な物語なんですよね。なぜなら今作はもっと根っこにある、誰でも持っている”あの頃”を描いた作品だから。


白眉なのは冒頭です。バンドメンバーからボロクソに言われて落ち込んでいる劔(松坂桃李)が友人から貰った松浦亜弥のDVDを観るシーン。


思わず箸が止まってしまい、徐々に目に光が宿っていく様子。「好き」に人生を救われるあの瞬間。


同じ世界なはずなのにさっきまでとは打って変わったように色鮮やかな世界。


映画が始まって数分の出来事ですが、あの瞬間を見ただけで涙した人も少なくないはず。かくいう僕もその一人です。 あの瞬間に確信しました。今作はハロプロオタクたちのヲタ活を追うだけの映画ではない、もっと広く普遍的な好きを受け入れてくれる映画、あの頃の肯定していいのかどうかもわからない僕たちを推してくれる映画なのだと。


※ここからネタバレありです。ネタバレが嫌な方はここでブラウザバックしていただければと思います。観賞後にもう一度読みにきてくれるととっても嬉しいです。この先も読んでくれる方、ありがとうございます。ぜひあなたの感想も聞かせてください。

(C)2020「あの頃。」製作委員会




無駄な日々


今作はハロプロが好きな男たちの日々を追った映画です。言ってしまえば気が合う仲間たちとワイワイギャーギャやっているところを見せられるだけです。


各々勝手に“好き”を語り合って、笑っていいんだかダメなんだかわからないボケをして、自分たちしか面白くないような内輪ネタで盛り上がって......そういう別に僕たちに何ももたらさない会話の連続が描かれる。


そしてカメラを動かさない撮り方などがさらに日常感を強調しています。


そういうヲタクの日常を追った作品ですけど、今作の良いところはヲタクをどんな存在としても描いていないところだと思います。


彼らを否定もしていなければ、美化しているわけでもない。ただそのまま世界にいるだけ。


彼らの存在意義?別にないんじゃないんですか。“好き”を推して生きているだけじゃダメなんですかね。


「恋愛研究会。」が社会的にどんな立場だったか描かれていない?別にどんな立場でもなかったんじゃないですか。あそこにいただけなんだから。


彼らの個人個人の背景がわからない?それが人間関係じゃないんですかね。あの場で大事だったのはハロプロが好きという気持ちとこの人たちと一緒にいると楽しいという感情だけでしょ。あいつはどんな育ちをしてきたとか、一人のときはどんな生活をしているのかなんて彼らにとってはどうでもいいんですよ。


僕はなんにでも意味とか意義を求めるのはよくないなと思います。


なんて言うと映画を作る意味が〜とか言われますけど、それだけが人を救うわけではないと思うんですよね。


というか、なんでもないことに救われることの方が多くないですか?きれいな景色を見たとか、美味しいものを食べたとか、あややのMVを観たとか。


無駄な場面が多いとかテンポが悪いとかいうのもわかるけど、それがこの映画の良さだと僕は思いますけどね。だって僕の人生無駄だらけだし、テンポよくドラマティックなこと起きないし。


でも振り返ってみると、無駄な日々が尊かったりするんですよね。何も起きなかったあの頃が自分にとっての特異点だったりするんですよね。だから「恋愛研究会。」のメンバーにとってはまさにあの瞬間が大事なあの頃で、僕たちにとっては無駄でも彼らにとっては無駄じゃないんです。


そして無駄に見えるたくさんの場面が、自分にとってのあの頃。を思い出させてくれる扉になっているんです。


僕も言われることありますよ。そんな風に映画を見てなんになるのとか。もっと素直に楽しめばいいのにとか。なんのためにそんなに映画見て感想とか書くのとか。


全部楽しいからとしか答えられないです。それ以外の意味なんて考えたこともありません。


無駄よ。無駄。映画なんて見なくても生きていけるもん。


でもそんなこと言ったら食べる、寝る、適度に運動する以外は全部無駄じゃないですか?娯楽は全て無駄だし、食事だって栄養が取れればいいんだから味付けとか無駄じゃん。恋愛だって無駄じゃね。


でも、必要なんですよね。無駄が人生を豊かにするんですよね。


正直に言うと、このシーンいらなくねとか意味のない無駄じゃんとか思うこともたくさんありますよ。


でもさ、今作はその無駄がとても愛おしいんですよね。こんなに無駄を愛おしく撮った映画は他にないですよ。

(C)2020「あの頃。」製作委員会




ホモソーシャルなノリ

今作が嫌だなーと思った人はきっと、彼らのノリが嫌だと思ったのではないでしょうか。


周りに引かれるような下ネタとか、なにが面白いんだかわからないことでゲラゲラ笑っていたりとか。


特に下ネタの部分に嫌悪感を覚えた人は結構いると思います。いわゆるホモソーシャル“的”なノリね。


そういうノリが「恋愛研究会。」のなかにあったという事実はその通りでしかないのですが、決してこの映画がそういうノリを美化しているわけではないと思うんですよね。


この話をするには、まず“ホモソーシャル”の定義から考えなければいけないと思うのですが、個人的には行き過ぎた家父長制と定義して考えています。


簡単にいうと、男が偉くて女は男の人生を豊かにするための“もの”という価値観。要するに女性をモノ扱いして楽しむみたいなことね。


それが内輪から飛び出してドヤ顔しているのが、害悪なホモソーシャルノリだと僕は考えています。


女性を外見で良し悪しを決めてそれを女性にぶつけるとか、個人の未熟さゆえの問題を女性のせいにしてケアさせようとするとか。


男らしさの押し付けもまさに同じことで、個人で勝手に思っている分にはいいけど、それを万人も常識として外に持ち出すから害悪だって言われるわけですよ。


それで、「恋愛研究会。」の中にそういうノリがなかったかと言われれば、それはあった。


風俗の話をしていたり、SEXがどうのとか女がどうのとか言って盛り上がってたしね。


ただ、彼らのそういうノリって内輪で留まっているんですよ。厳密にいうと、学園祭で彼らは自分たちのノリを外に強制仕掛けていたりするんですけど。特にコイズミはその節がある。でも映画としてこれが良いでしょ?素晴らしいでしょ?下ネタ最高でしょ?とは言っていなくて、むしろ外にはそういうノリを出させないようにしている。


もし今作がホモソーシャル賛歌な映画だったなら、劔は靖子とSEXしているし、コズミンは風俗でサービスしてもらって、看護師さんは優しさで自分の胸を触らせていると思います。


でも、靖子はコミュニティの外にいる佐伯と恋仲になるし、靖子と一緒にいたあの子は気持ち悪がって離れていく。


あくまでも内輪で完結しているノリとして描かれているわけです。それは彼らが社会的になにも成していないという批判への答えでもあります。


この「内輪ノリは内輪ノリである」ということがすごく大事で、個人の“好き”は全部内輪のものなんですよね。それを映像で表しているのが、階段の上り下りや扉の内と外ですよね。彼らがヲタクとして輝けるのは階段を降って地下の扉を潜ったとき。イトウの部屋(扉の内側)にいるとき。


おもしろいのは、劔があややの握手会にいくシーンですよね。


それまでヲタ活を象徴するのは階段を下った先で、社会を象徴するのが階段を上った先だったんですけど、あややがいるのは階段を上った先なんですよね。


なんて言えばいいんだろう、ヲタクにとって、というか劔にとっては推している本人に会うのは社会に出ることそのものなんですよね。言い方違う気がするな。推しについて話すことと推しと話すことは世界の階層が違うというか。もっと変な表現になっちゃた。もうわかんないや。とにかくあの場面すごいんですよ!!


話を戻しますけど、なんだってそうで仲間たちで楽しんでいる分にはいいけど、それを関係のない人にまでぶつけたら嫌がられるのは当たり前です。


だから僕も「恋愛研究会。」のノリを目の前でやられたらこいつら嫌いって思うし、それが学園祭で逃げていったあの子なんですよ。


でも僕は僕で他人から見たら嫌だなーって思われるようなノリを仲間としていたと思うし、それが僕にとってのあの頃になっている。あれをホモソーシャルノリとして糾弾するのは簡単だけど、たぶんみんな形は違えど同じことをしています。


「恋愛研究会。」は僕たちだったんですよね。好きなものもやっていることもまるで違うけど、彼らは僕らだったんです。





(C)2020「あの頃。」製作委員会

エレパレ

つまり、「恋愛研究会。」は「エレパレ」なんですよね。


「エレパレ」知ってます?


お笑いコンビのニューヨークさんのYouTubeチャンネルで公開されている『ザ・エレクトリカルパレーズ』というドキュメンタリー映画なんですけど、今作を観ている間、ずっとこのエレパレを思い出していて......


知らない人のために簡単に説明すると、「エレパレ」っていうのは、吉本のNSC東京校17期で生まれた謎のグループのことです。メンバーでお揃いTシャツを着て、オリジナルテーマソングを作って授業中に歌っていたり、複数の女生徒と関係を持つなど学内で幅を利かせている団体があるらしいと芸人内で噂になっていたみたいです。


このエレパレというのは一体なんだったのか、その正体を9年越しに解き明かそうとするしたのが『エレパレ』です。



ザ・エレクトリカルパレーズ


で、このエレパレっていうのが、17期のメンバー外の人から話を聞くとセックスサークルだとかスクールカースト最上位のイキリグループだとか散々なことを言われるんですけど、いざメンバーに話を聞いていくと、あれ?どうやら聞いてた話とちょっと違うぞ......?となっていくんです。


お笑いとハロプロは違うけれど、エレパレは端から見たらセックスサークルで恋愛研究会。はまるで逆のイメージだけど、どちらも根っこにあった熱い気持ちは同じだった。


「エレパレ」のもっと内側を描いたのが「恋愛研究会。」で、「恋愛研究会。」が意図せず肥大化してしまった先が「エレパレ」だなと思って僕は観ていました。


観ていない方はぜひ観てみてください。





変わりゆく日常

「僕たちは小学校、中学、高校、大学と卒業するたびに出会いと別れを繰り返す。しかし大人になった今、もう卒業はない」という劔のモノローグがあるが、これは半分正しくて、半分間違っていると思う。


確かに自分から能動的に動かなくてもたくさんの人との出会いがあるというのは学生まで。ずっと一緒にいたいと思っても離れなければいけないということもあまりない。


でも卒業はある。期間で決められていてはっきりこの瞬間!という前もってわかっている卒業はないかもしれないが、卒業自体はある。


それは好きだったものに興味がなくなった時かもしれないし、他にも大事なことができた時かもしれない。仲間がいなくなった時かもしれない。


とにかくいつまでも同じ頃が続くなんてことはない。


人は変わっていくものです。


けれどその変化は決して“成長”ではないんです。


だってそれが成長というなら、あの頃は今より劣っているということになってしまうから。成長したところもあるけれど、卒業したのは成長したからではない。


それがすごく優しいんですよね。


今泉監督はきっと「変化=成長」と捉えていない。成長を強制しないところに救われるんですよ。


あの頃があるから今がある。あの頃と一緒に今を生きているんです。


成長とは少し違う。好きが増えただけ。


かわいいが超かわいいに超かわいいが超超かわいいになっただけ。

(C)2020「あの頃。」製作委員会




あなたが尊い

あんまり喋るとめちゃくちゃ長くなってしまいそうなのでこの辺で終わりますね。


はじめにも言った通り僕は彼らに共感はしませんでした。笑えないなというノリもありました。


でも“尊い”という気持ちはわかるよ。


今その気持ちを抱いているから。


アイドルに熱中したことはなかったけど、ドラマや映画やバラエティを見ていたあの時間は決して嫌ではなかった。なによりみんなのAKBやももクロや乃木坂の話を聞いているのが好きだった。


僕にとってはあなたが尊かった。


“推し”に出会って”仲間”に出会ったあなたが、何かに夢中になっているあなたが、あの頃という花束を抱えて今を生きているあなたが尊いよ。

(C)2020「あの頃。」製作委員会