【感想】『CUBE 一度入ったら、最後』業界の都合に振り回されてRespectもEnthusiasmも空回り。

映画『CUBE 一度入ったら、最後』感想。(ネタバレありです。)


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1997年に公開されたヴィンチェンゾ・ナタリ監督による『CUBE』の日本版リメイク。

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世界初の公認リメイクである今作(なんでわざわざ“公認”ってアピールされているのかは映画サイトの作品名で『CUBE』と調べてみるとわかると思います)。


なんでいまさら公認なんだろうというのは色々な匂いを邪推してしまうが、とにかく“公認”なんでそれはそれは楽しみだった。


これは海外の作品にも言えることだが、過去の名作をリメイクするということは、その作品を使って現代で語り直すことがあるということである。


メッセージ性でも、映像表現でもなんでもいいが、改めてやる意味があるからリメイクするのだ。


けどどうだろう。フタを開けてみれば『CUBE』である必要がない。この一言に尽きる作品になっていた。


突然閉じ込められた男女6人。 エンジニアの後藤裕一(菅田将暉)、団体職員の甲斐麻子(杏)、フリーターの越智真司(岡田将生)、中学生の宇野千陽(田代輝)、整備士の井手寛(斎藤工)、会社役員の安東和正(吉田鋼太郎)。 年齢も性別も職業も、彼らには何の接点もつながりもない。 理由もわからないまま、脱出を試みる彼らを、熱感知式レーザー、ワイヤースライサーや火炎噴射など、殺人的なトラップが次々と襲う。仕掛けられた暗号を解明しなくては、そこから抜け出すことは絶対にできない。 体力と精神力の限界、極度の緊張と不安、そして徐々に表れていく人間の本性… 恐怖と不信感の中、終わりが見えない道のりを、それでも「生きる」ためにひたすら進んでいく。 果たして彼らは無事に脱出することができるのか?! 公式サイトより引用

movies.shochiku.co.jp


まず言っておきたいのだが、決してリスペクトがないとかではない。


オリジナル版へのリスペクトはあるし、オリジナル版を再現するだけにはしたくないという意気込みも感じられる。それなのに結果的にはオリジナル版の上澄みをすくっているだけの作品になってしまっているのだ。


オリジナル版へのリスペクトと意気込み、そして役者陣の良すぎる演技が、薄すぎる脚本と演出を誤魔化してしまうという稀有な映画だった。


というのも今作はオリジナル版『CUBE』がなぜ売れたのかまるでわかってない。あの場所の謎だとか、人が死ぬだとかは一要素でしかなくてそれだけでヒットしたわけじゃないと思うのだが。


そういった要素に対して、CUBEという空間がどのように作用しているのか、そこを見ないと上澄みだけをすくったような映画になってしまう。

(C)2021「CUBE」製作委員会

オリジナル版の特徴としてまず挙げられるのは、立方体の空間で死の恐怖にさらされる中で、次第に狂っていく登場人物たちの模様である。


なのだが、『CUBE』って別に命の危険にさらされているからという理由だけで登場人物たちが狂っていくわけではない。


あのどこまで行っても同じ景色で規則正しすぎる空間っていうのがめちゃくちゃミソで、規則正しさのなかにいつ来るかわからないトラップや不快音など不規則なものが混じってくるから精神が削られてくるわけである。

映画『CUBE』より引用


細かな不快感を積み重ねることで彼らが狂っていく様に説得力が出て、彼らが狂うほどに幾何学的な立方体の空間の美しさが恐怖に変わっていく。


けれども、今作ではキューブは主人公たちを閉じ込める謎の密室空間でしかない。


キューブという空間の意味を理解していないから、軽率に“外”の描写を出して楽してバックボーンを語ろうとしてしまう。


だから、“あの空間”でなくても成り立つ物語になってしまっているのだ。


では、ドラマ部分でそこを補えているかと言われれば、それもない。


菅田将暉演じる後藤にスポットを当ててドラマを描くのは良いのだが、他の人物がほぼ数合わせ要因なので密室空間での極限状態で人間の本質が現れるという面白さが全く無い。


全員が後藤のドラマのために動かされているため、人間味がなく意味不明な行動ばかりとる人たちの集まりになってしまっている。

(C)2021「CUBE」製作委員会


なぜそんなことになるのか、映画における役割が後藤に集中しすぎているのだ。


オリジナル版では各キャラクターにバランス良く与えられていた役割が、ほぼ菅田将暉ひとりに当てられているため、他の人物は単なる舞台装置にしかならない。だから途中からすごく予定調和的になるし、人の死が悪い意味で軽くなってしまう。


井出は後藤の成長のため、安東は後藤の敵を作るため、宇野と越智は後藤の懺悔のために存在する。杏が演じる甲斐なんてさすがにひどすぎる。最後に観客に納得してもらうための説明要因でしかない。


一応各キャラがなぜこういう立ち回りをするのかという部分はわかるようになっている。それこそ甲斐はロボットでCUBE内の被験者を監視するためにいるからなにもしない。


だけど、それにしてもひどい。ロボットってなんですか?


越智のキャラクターだって、まさに現代日本人が抱える癌の象徴みたいなキャラなのに単なるサイコ野郎にしかなっていない。


例えば、自身の惨めさを女性のせいにして危害を加えるフェミサイドの問題だって描けるし、自分の感情=正義というSNSによって顕著になっている認識の危険性にも踏み込める。


その上で、安東の「環境のせいにするな」という言葉がどのような意味合いを持ち、なぜ越智のような人間が生まれてしまうのかを描くことだってできる。引いてはその先にCUBEという空間に集められた人たちの共通点を導き出し、あの空間が存在する意味やそこを抜けだした先にある未来について観客に考えさせることだってできる。


実際に難しいことを拒絶しようとする描写だったり、感情の昂りを抑えられない描写を描いているのにそこがなにも活かされていないのはなぜなのか。安東と越智のどちらの言い分も正しくて間違っているという言い合いをもっと発展させていれば、越智の狂気というのが観客にとって切実なものになるのになぜやらない。

(C)2021「CUBE」製作委員会


てか越智が憎しみの感情を抑えられなくなると部屋が赤くなってトラップが発動するというあれはなんだったの???


各キャラのTwitterアカウントを作るプロモーションとかもやってたけど、あれもひどいなと思う。


越智はまだわかるけど、他はこいつはこんなこと呟かないだろって内容ばかりで、人物像を補完するどころか迷走させている。


安東はどう考えたってバズったツイートにクソリプ飛ばして喧嘩してるタイプのおっさんだろ。

(C)2021「CUBE」製作委員会


各キャラの死に方に関しても同じで、オリジナル版はなんというか、『CUBE』に取り込まれる感覚があった。


サイコロステーキだったり、硫酸だったり、原型がなくなるのはそういうことで、要するにキューブの幾何学的な美しさに取り込まれてしまうということ。別にただセンシティブってだけの死に方じゃない。


でも今作の死に方と言えば全部同じ。レーザーとか針とか手法こそ違えど、全部身体を貫かれてバタッと倒れて死ぬだけ。


安東は違うけど、あれはトラップじゃないし。


オリジナル版との違いを出そうする姿勢は良いんだけど、ただ殺してるだけ。死ねばいいってもんじゃない。


あと死にそうだけど死なない的展開がクドすぎる。3回も繰り返せば次はさすがにないぞということなんてどんな人でもわかる。


だから、ここで誰か死ぬなというラインが丸わかりで緊張感が全く無い。


その中でも、すごく気になったのが音に反応するトラップの部屋。


あれ、一人づつ行かない?あの時は部屋が動くというのも分かっていなかったし、あんなゾロゾロ行ったら全滅エンドの可能性高いじゃん。


結局、安東と越智の因縁を作りたいがためにああいう不自然な描写になってしまうわけである。


謎解き部分にしても、オリジナル版にもあった9桁の数字をキーに話が進んでいくが、表面的なところを取り入れているだけなので、「素数」からの二転三転がない。その上、たぶんそこに対する勉強も中途半端なのだろう。聞き間違えだったら申し訳ないのだが「全て末尾が奇数、素数だ!」みたいなセリフがあった気がする。


最終的には素数かどうかに関わらずトラップも発動してるし、立方体の謎の答えが壁に書いているという投げやりな解決方法。


その辺が結局は上澄みしかすくい取れてないという理由である。


ただ、脚本家と監督が全部悪いのかと言えばそうではない。


あくまでも憶測だが、業界の事情があるのだろう。


要するに、これだけのでかい企画だと、あれだけの俳優陣を無下には扱えないのだ。


それぞれにある程度見せ場を作らなきゃいけないから、ギリギリ死なないみたいな場面がしつこく繰り返され、女性と子どもを殺すと怒られるみたいな間違ったポリコレ意識があるから宇野と甲斐は露骨に傷つかない。


菅田将暉が生きていたなんてオチが最たるもので、日本芸能界は菅田将暉を殺せないのである。


やたらと役者の顔のアップが多いのもどうかと思うが、それも同じことだろう。


オリジナル版へのリスペクトとリメイクに対する意欲がどれだけあろうとも、本来いらないはずの配慮によってこんなことになってしまうという良い例なのではないか。


ただ、役者陣の演技は素晴らしい。演技に説得力があるから、その辺の粗が目立たなくなっているのも事実で、良い意味でも悪い意味でも役者様様な映画。作り手もわかっているのかわかっていないのか、顔のアップがやたら多いのもそういうことなのだろうか。


総括すると、初めに書いた「別に『CUBE』である必要はない」この一言に尽きる。


悲しい…
決して嫌いにはなれない作品だが、これだけ大きな企画で大きなお金が動く作品だとこれが限界なのだなと悲しくなった。


登場人物の名字が「あうい おか」始まってて、主人公だけ「え」じゃなくて「ご」なのもなんか意味あるのかなと思ったけどなんにもなかったね。

『CUBE 一度入ったら、最後』
監督:清水康彦
脚本:徳尾浩司
原案:『CUBE』ヴィンチェンゾ・ナタリ
音楽:やまだ豊
撮影:栗田豊通
主題歌:星野源「CUBE」(スピードスターレコーズ)
出演:菅田将暉、杏、岡田将生、田代輝、斎藤工、吉田鋼太郎
配給:松竹
2021年/108分/G/日本