映画『サイレントラブ』の感想です。
ネタバレありです。また、酷評気味なので読まれる際はご注意ください。
2024年/116分/日本/恋愛
監督:内田英治
脚本:内田英治、まなべゆきこ
撮影:木村信也
照明:石黒靖浩
音楽:久石譲
出演:山田涼介、浜辺美波、野村周平、吉村界人、古田新太、SWAY、中島歩
演技は素晴らしかった
まず、俳優陣の演技は良かった。 特に主演の山田涼介は喋れないという役の中で、目で感情を表現するという演技を見事にこなしているし、あの滲み出る美しさを完璧に消していたのですごい......
あんなに美しい顔なのに、ちゃんと小汚く見えるんですよね。浜辺美波演じる美夏を自殺から助ける冒頭のシーンは山田涼介なのかわからないくらいで、そこから美夏との交流を通して段々と山田涼介になっていくというね。
メイクの力ももちろんあるんだろうけど、山田涼介の演技力あってのことだと思うので本当にすごいなと思う。
でも今年ワースト
ただ、それ以外は酷かった.....
視力を失った女性と声を失った男性のラブストーリーを通して、“見えるのに見えていない”社会を描く.....はずが監督が1番見えていない。いや、見えていないならまだしも、見えているのに無視をしているからたちが悪い。
今作がティーン世代を意識して作られているは明らか。社会性のあるテーマを扱っていたり、わりと容赦のない場面があったりするが、中身はキラキラ映画。
別にそれ自体は悪いことではないのだが、そういったことを踏まえて考えたとき、それはどうなのよと思うところが多々ある。
生きていないキャラ
まず、シンプルに脚本が酷いと思う。
コミュニケーション不和の二人にラブストーリーがやりたいから主人公に障害を持たせよう。ラストにエモい展開をするために階級社会要素も入れようみたいに、あらゆることが話の展開のギミックでしかなくて、キャラクターの発言や行動に生きている感じが全くない。
主人公二人の言動も機械的だし、野村周平も点と点を繋ぐためだけの存在にしかなっていない。脇を固める人物にいたってはもっと酷くて、吉村界人とかフラストレーション要因でしかない。
古田新太まわりのエピソードも酷かったね。あれなに?必要?
見た目で判断するなっていうメッセージなのはわかるけど、別にメインの話となんにも関係ないし、そもそもその描き方が安直すぎる。大学で起きた盗撮事件の犯人が、実は真っ先に小汚い男を犯人扱いして騒いでいたおばさんでしたってさ......
思い返せば返すほどに酷さが増していく......
説明過多
あと説明過多。誰がなにをしてどんな状況になって、この人はこんなことを思っているということを親切丁寧に全部説明してくれる。
後半の浜辺美波が鉄パイプで野村周平を殴ってしまうシーン。殴った瞬間の画は移さず、観客になにが起きたのかを悟らせる演出なのは良い。
なんだけど、クライマックスでなぜかもう一度その場面を繰り返し、今度は全部はっきり映してしまうというね。説明過多多多多くらい説明しちゃってる。
あそこは本当に酷いと思う。この場面になった瞬間に「嘘だろ......勘弁してくれよ......」と唖然としたよ......
ティーン世代のことを馬鹿にしすぎじゃないですかね?
ただまあ問題はそこじゃなくて、そういった“エモ”に関わるところは説明過多なのに、その枝葉となる主人公二人が持つ障害の部分に関しては全然説明しないのがめちゃめちゃ悪質だと思う。
“障害”に対しての不誠実さ
例えば浜辺美波が横断歩道で人とぶつかったことで平衡感覚がおかしくなってしまうシーン。
じゃあ、今作をお得意の“1歩目になる映画”としてだ。
障害を抱える人たちが社会で置かれている状況ってのをまだよく知らない人が観たとして、なぜちょっとぶつかっただけであんなにパニックになっているのか意味わからないと思う。
仮にわかったとしても、あそこで感じることって通行人の無関心さに対する憤りでしかない。本当に伝えるべきことは無知の善意であるはず。
その手前で同級生が手を貸そうとして怒られるシーンも単に嫌味な奴にしか見えない。
例えば、横断歩道の信号が点滅したときに手を引っ張られるとか、急に雨が降ってきたから屋根のある場所まで連れて行ってあげたことで平衡感覚を失うとかもできるわけである。他にも階段でいきなり声をかけられる怖さとか色々あるはず。
無関心な人々、悪意を持った視線を向ける人々は描くのに、善意ゆえの迷惑を描かないのは全くもって不誠実である。これを製作者が“わかっていない”だけならまだいいが、この監督は障害と関係のないところでそういった場面を用意している。つまり、【あえて】描かないのである。
エモのためのマイノリティ
じゃあなぜ【あえて】描かないのか。
その理由は簡単、エモのためには邪魔だからである。
辛い現実に立たされる二人が地獄に立ち向かい、それでも美しい景色を見つけるという王道展開。それはいいんだけど、そのためにマイノリティとされる人たちに悲劇を背負わせるのはどうなんだよという話である。
今となってはこんなこと散々言われていることなんだから、監督や脚本家がわかっていないはずがない。
障害を持つ人がおかれている状況というのをよくわかっていてそれを描けてもいるのに、悲劇に向かうためのギミックにしか使っていないというのは、当事者を“無視”していることと同じであり、『ミッドナイトスワン』の頃からなにも変わっていないなと感じた。
それでも『ミッドナイトスワン』は、誠実に描いている部分もあったし、確かに映画として良くできているけど倫理的にどうなのって感じだったけど、今作に至っては面白さすらないからねえ。
---終わり---