【感想】映画『望み』“家族のあり方”を問う良作!だけにもったいない......

こんにちは。このブログでは映画の感想を書いたり、あなたをクソ映画の沼に引きずり込もうとしたりしています。よろしくお願いいたします。


今回は2020年10月9日より公開の映画『望み』の感想です。


先に言っておくと、途中からネタバレありになっています。


ネタバレに入る前にもう一度言うので見逃さないでね。






『望み』

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『望み』本予告

監督:堤幸彦
脚本:奥寺佐渡子
原作:雫井脩介「望み」(角川文庫刊)
音楽:山内達哉
出演:堤真一、石田ゆり子、岡田健史、清原果耶、加藤雅也、市毛良枝、松田翔太、竜雷太
配給:KADOKAWA

映画『望み』公式サイト

望み (角川文庫)

望み (角川文庫)





堤幸彦監督作品の中では好きだったけど......

本題に入る前に言っておきたいことがあって、直近3記事くらいで誤解されてる気がするんですけど、僕は別に「悲劇」否定派じゃないですからね。


「映画」って映画内で完結するものじゃないと思いますってことを言っているだけであって、悲劇に共感できないとかそういう話じゃないですから。


たくさんの人に読んでいただけているのは本当に有り難いのですが、勘違いされてそうだったので一応そこだけ......


いきなり脱線してすみません。映画の話に戻りますね。


堤幸彦監督作品は個人的に当たり外れが激しくて、最近の作品でいうと『人魚の眠る家』や『十二人の死にたい子どもたち』は駄目でした。


どちらも感想は書いていないんですけど、『十二人の死にたい子どもたち』は去年のワースト記事でちょこっと触れているのでよければ。

lociepatay.hatenablog.jp


『人魚の眠る家』の方は言っちゃうと今作の若干のネタバレになってしまうので後述します。


で、そんな堤幸彦監督作品の中でも今作は好きな方でした。


もしも家族が殺人犯かもしれないとなったら自分はどうするか。


「加害者」でもいいから生きていてほしいか、それともたとえ「被害者」だったとしても殺人犯であって欲しくないと思うか。


どちらに転んでも地獄。その極限の状況に陥ったときに僕たちは何を思いどう行動するのか。“家族”という理想をが少しずつ静かに丁寧に剥がされていく様子は、否が応でも自らの家族との記憶と向き合わされる。


“家族”とはなんなのか。いま一度考えさせられる良作でした。


それから俳優陣の演技も素晴らしくて、堤真一さんと石田ゆりこさんは親としての葛藤と焦り、苛立ちが見事に表現されていましたし、清原伽耶さんは「巧い」としか言いようがないですよね。石川家のなかでももしかしたら一番難しい役どころなのにそんなこと全く感じさせない程素晴らしいです。


岡田健史さんも15〜16歳頃の親や自分に対する複雑な感情や、繊細さのなかにある危うさなども表情や佇まいでバッチリ表現されていました。


でも一番印象的だったのは竜雷太さんですね。存在感が半端なかったです。出てきた瞬間に圧に引き込まれました。


という感じだった......んですけど......


なんですけど、故に「ん?それでいいの?」という部分が引っかかったのと、やっぱり僕が同監督作品の苦手なところは出てたなー......。


ちょっとしたことなんですけど、僕的にはすごく嫌で観客のこと信頼してないのかなーなんて思ってしまいます。


あとポスターが『パラサイト』みたいって思ってたら、みんな同じこと思っていたみたいですね笑


パクったわけではないと思うけど、ちょっと引っ張られてはいるのかな。一応家族の物語だし笑


まあ別にどうでもいいっちゃあ、いいんですけど。


ここからはネタバレあります。まだ観ていない方、情報を入れたくない方はここでブラウザバックしていただければと思います。


この先も読んでくれる方はよろしくお願いいたします。あなたの感想も是非聞かせてください。





家族だからって全て分かるわけではない


一級建築士の石川一登とフリー校正者の妻・貴代美は、一登がデザインを手掛けた邸宅で、高一の息子・規士と中三の娘・雅と共に幸せに暮らしていた。規士は怪我でサッカー部を辞めて以来遊び仲間が増え、無断外泊が多くなっていた。高校受験を控えた雅は、一流校合格を目指し、毎日塾通いに励んでいた。


冬休みのある晩、規士は家を出たきり帰らず、連絡すら途絶えてしまう。翌日、一登と貴代美が警察に通報すべきか心配していると、同級生が殺害されたというニュースが流れる。警察の調べによると、規士が事件へ関与している可能性が高いという。さらには、もう一人殺されているという噂が広がる。


父、母、妹_____それぞれの<望み>が交差する。


公式サイトより引用



というあらすじですが、先ほど述べたようにこの映画のテーマは、家族が殺人犯かもしれないという極限の状態に陥った時にあなたは何を「望む」かということですね。


石田ゆりこ演じる母・貴代美はたとえ殺人犯だったとしても息子の「生」を望みます。周りの人から忌み嫌われ、日常が壊れようとも息子がいなくなるよりましだと覚悟を決めます。


一方、父・一登は息子の無実を信じ続けるが、それだと息子の死を受け入れることにもなってしまい葛藤します。また、息子が殺人犯であれば自分や娘の人生にも影響を及ぼすことにもなり、簡単には割り切ることができません。


どっちが正しいということではありません。


どんな真実が待っていようと生きていてほしいと思う気持ちも、真実がはっきりしていないのに家族を殺人犯だなんて思いたくないという気持ちもどちらもわかります。


ただ、この映画の大事なことって、「愛の形」みたいなことではないと思うんですよ。


どういうことかといいますと、そもそもの根本的な問題っていうのは、家族が規士のことを全然わかっていなかったことですよね。


冒頭、石川家は「理想の家族」を体現したような家族として描かれます。理想の家に住み、程よくお金もあり、楽しい家族の写真が飾ってあり。


ただそれはすぐに崩されることになります。


いえ、事件が起こるもっと前です。


一登がお客さんに自分の家を紹介するシーンでそれは垣間見えています。


あのシーンで僕はいきなり恐怖を覚えました。父親の仕事のお客さんといえど、知らない人が家に来て、勝手に部屋に入ってきたり風呂場を見られたり......


まるでプライバシーがないじゃないですか。でもそこに文句も言えない。


さらに「理想の一家」は誰にとっての理想だったのかも示唆されます。それはアイランドキッチンを紹介している時の貴代美のセリフから読み取れます。


お客さんに使い勝手を聞かれた時「もっと収納があったら良かったのにとは思いましたけどね」というようなことを言っていましたよね。あれは「一登の理想」の家のために他の家族の理想は無視されている面があるということがわかります。


また、貴代美だってあの時は仕事中だったわけですよね。でも父親の仕事のために中断せざるをえなくなります。


幸せに見える家族の底にある地獄をさりげなく示しているんですね。傍からは幸せに見える石川家という家庭は“一登にとっての”「幸せな家庭」だったのです。


つまり、“家族”のために家族を犠牲にするという価値観をいきなり揺さぶってくるわけです。


そうです、これはそのまま「家族が殺人犯かもしれない」という展開に繋がりますよね。


だから、ここで大事なのは一登が自分の理想に家族を巻き込んでいたこと、それ故にこんな事態になってしまったことに気づくことなんじゃないかなと思うんですよ。


だって規士がサッカー部を辞めたことを家族に話せなかったのって、家庭内がそういう環境だったからというのが少なからずあるわけじゃないですか。


父親が作り上げた家庭環境に雅は器用に対応することができたけど、規士にはできなかった。


だから家族に胸の内を打ち明けることはできなかったんです。


そしてそれは家族が好きという気持ちとは別のところなんですよね。


そこを突き詰めていった先に、それぞれの「望み」が重みを持つのです。


一登がそこに向き合うことで、家族絶対主義に待ったをかけるんだなと僕は思ったわけです。その上であらためて家族のあり方を問い直すんだなと。


これはすごい映画になりそうだぞ......!って思ったんですけど、ん?あれ?





ミスリードのための仕掛けにしかなっていない


ところがどうでしょう。果たして一登はそこに向き合っていたでしょうか。


映画がそこまで踏み込んだ展開になっていたでしょうか。


僕はなっていなかったんじゃないかと思います。


「加害者」か「被害者」か。そこばっかりに焦点があっていて、なぜこんな事態になってしまったのかという根っこの部分までは触れられていなかった気がします。


最初の「幸せに見える家族の中に潜む地獄」は観客のミスリードを誘う以外の役割はなく、そういった観点から一登や貴代美がこれまで作り上げてきた「家族の在り方」を考え直すような描写もありませんでした。


規士にとって、本当はお父さんの言葉が希望になっていたというのはいいとしても、そこに至るまでの過程で一登が自分の過ちに気づき反省するのとしないのとでは後の展開の説得力が全然違います。


でも一登は「規士は殺人犯じゃない」と信じる、そこだけで事件が起こる前の自らの価値観を省みるということはしていないんですよ。それがないまま、規士は父親の想いを受け取っていたという展開にしてしまっているから、最初の方で撒いていた伏線がただの種明かしのための仕掛けにしかなっていない上に、「家族のあり方」についても本来問うはずだった所の一層手前で止まってしまっているのではないでしょうか。


これだと規士が抱えた思いや葛藤といったものも軽くなってしまいます。優秀で優しい子ども程、親に心配をかけまいとして何も言わないっていうのは分かるんですけど、そこじゃなくない......?


それから、そのせいで雅の存在も薄くなってしまったような気がします。


実は今作において最も重要な存在って雅だと思うんですよ。


石川家を最も俯瞰的に見ているのは雅で、“家族”というものを一番外から見ているんですね。そんな雅の「お兄ちゃんが犯人じゃなかったらいいのに」というセリフでまさに今まで社会で信じられてきた「家族のあり方」が大きく揺らぎます。


ここで観客も薄々思っていたけど見ないようにしていた思いをはっきりと突きつけてくるわけですよ。これは雅のセリフだから意味があって、一登や貴代美じゃダメなんです。


そういうことをしているのに結局、最終的には「愛の形」というところに全て集約されてしまっていて非常にもったいないなと思いましたね。





堤監督の苦手なところもやっぱり出ていた。


それから、僕が堤監督作品の苦手なところもやっぱり出ていました。


堤監督って最後の最後にメッセージの念押しみたいなことしてくるじゃないですか。あれがどうも苦手で。というか嫌いで。


そんなことわざわざ言わなくても伝わってるよっていう。


『人魚の眠る家』だったら最後の最後で、心臓移植をした少年が主人公一家の跡地で立ち止まって心臓に手を当てる描写です。


いらない!いらない!そんなことしなくてもわかってるから!もっと観客を信頼してくれよ!!って思ってしまうんですよねー。


今作もやっぱり最後の最後でそういう描写を入れてきていたから、はぁ......って感じでした。





良かったところ


全体的に「否」よりの感想になってしまっているんですけど、ちゃんと良かったと思うところもあって、まず俳優陣の演技は素晴らしいです。


それから、「加害者でも生きていて欲しい」「殺人犯であるくらいなら被害者であった方がいい」という二つの間で揺れ動く葛藤っていうのは見事に突き刺さってきました。


中でも一番良かったのは、第三者からの誹謗中傷に関してです。あくまでも僕の考えなんですけど、実はこの作品が想定している観客の立場って、石川一家の誰かでも事件の当事者でもなくて、この有象無象の第三者たちだと思うんですよ。


僕が一番グサっときたのもここで、自分に関係のないところでこういった事件が起きたら、こういう報道がされたらどう思うだろうと。僕だったら規士が犯人だと思って石川家を加害者家族として扱ってしまうんじゃないかな......


実際そういう社会になってしまっているわけじゃないですか。憶測で物事を判断して他人を叩いたり、有名人の訃報に勝手に誹謗中傷による自殺だと決めつけたり。


マスコミの感じとか手垢のついた表現ではあるんですけど、石川家の立場で観ていたからこそ、「いやいや、お前はこっち側だからな」と突きつけられた気がしてすごく考え込んじゃいましたね。


今作の裏テーマはここにあるんじゃないかとか思ってしまいました。


僕たちが自分のこととして考えなければいけないのは、実は卵を投げつける側ではなく投げつける側なのかもしれません。





最後に


ということで僕としての感想を書いてきましたけど、最初に書いたように今作は堤幸彦監督作品の中では好きな方でしたね。


ただ、素晴らしかったからこそ、そこで終わってしまうんだ......という思いが強くて残念でした。もっと深いところまで行けたんじゃないかなと思っています


あとこれは別に良い悪いの話ではないんですけど、堤監督ってドローンで街を空撮するのにハマってるんですかね?笑


いきなり『人魚の眠る家』のラストと同じ光景で始まるから笑ってしまいました。今作のラストに至っても、もろ同じでしたよね笑

人魚の眠る家

人魚の眠る家

  • メディア: Prime Video


『十二人の死にたい子どもたち』も似たようなラストだったし。


是非みなさんも見比べてみてください......笑